第13話 Durak

あれから数時間後。
激戦を終えた案藤は、京の遺体を背負いながら拠点に戻って来ていた。
帰還した彼を見た避難民は京の死を確認して絶望し、いよいよ案藤、もといレジスタンスに希望を見出だせなくなっていった。

その絶望は凄まじい勢いで伝播していき、生き延びる為にシェルター外へ逃げ出す者も増えていった。
だが今のレジスタンスは実質一人だけであったため、逃げ出す者全員の説得などできるはずもない。

結果、案藤が拠点に戻ってから数日の間に、逃げ損ねたであろう避難民の死体がシェルター外のあちこちに散らばる結果となった。
多くは押し合いの中で施設群から落下死したらしく、その場で腐り、野犬や小動物、蛆の餌場と化している。

酷い惨状なのは確かだが、案藤にそれらを回収する程の余裕は既になかった。
…が、案藤はまだ希望を捨てきれずにいたがために、そこまで手が回らなかったとも言える。


「…大輝を、捜さなきゃ……」
拠点に戻ったその日から、取り憑かれたかのように案藤は必死になり内原を探し回っていた。
休息を挟みはしたものの、一人でじっとし続けることに耐えられなかったがゆえの行動だ。
まだ、希望を失いたくない。
失ってしまったら、僕らは一体何のためにここまで戦ってきたのか、と。自身の存在意義そのものすら揺らぐ程に、案藤は心の余裕を喪いつつあった。
今まで案藤を支えてきてくれた存在は既にこの世にない。
笑って背中を叩いてくれる者も。
姿勢を正してくれる者も。
自身の甘さを許容してくれる者も、誰一人。
だからこそ、残る生死が不明のままの内原の捜索に傾注することで、案藤はどうにか希望を失わずにいられた。
だが、姿を消してから日が経ってしまった事もあり、手掛かりもほとんどない状態でどこを探せばいいのか頭を悩ませてしまう。
仲間を、ましてや愛していた存在を自身の手で殺してしまったともなれば、そのまま逃げ出すほどの動揺に繋がるのは当然とすら言える。
しかし、一言に外とは言っても彼が具体的にどこへ向かったのか……。

「…諦めちゃ、だめだ。何としてでも……捜さないと……」
自身の弱りきった思考と疲弊の重なる体に鞭を打ち、腐臭を放つ死体を避けながら外へと足を進める。

彼らもまた、こういった弱い思考の末に出来上がった『被害者』だ。

その一方、化け物達が拠点としている区域では静かな葬儀が行なわれていた。
かつて人間が使っていた教会の中で、柔らかな陽の光の元、遺体は安置されている。

瓦礫の中で倒れており、複雑骨折と胸部の傷からより肌がくすみ白くなっていたローザの遺体。
辺り一面が焼け落ちた森林地帯でどうにか焼けずに残っていた、首元の腐った虎狼の頭部。
高温で溶けたコンクリートが目立つ場所にあった、上半身と下半身の間を広範囲に抉られ二つに別れた炎華の遺体。
彼らの遺体を揃え、その場で静かに泣いていたのは、かつてユレンと案藤により殺されたはずのフランだった。
「…皆……どうして……」

あの時、瓦礫の下敷きになったフランであったが、後に爆発の影響を受けた周囲の建造物の倒壊やそれにより増えた瓦礫で、レジスタンスの捜索が困難になったのが幸いだった。
化け物特有の異様に強い生命力もあってか、かなりの時を要したもののフランはその場から脱出することができたのだ。
しかしようやく仲間に会えると期待を持ち始めた捜索は、結果として仲間の遺体集めに終わった。

フランは、既に恐れるものなどなく、ましてや失うものなど何もないのだという自信を持っていた。
それがこの結果でこの惨状。
初めて他者を失う事による喪失感と苦痛をその身で味わう羽目となり、同時に自身の不甲斐なさ、根拠なき自信を誇っていた自分自身の愚かしさに、恨みすらはらみ始めていた。
だが、そう長く悲しみ続けていられる程世間は甘くない。
こうしている間にも、レジスタンスは懲りずに化け物を根絶しに掛かってくるだろう。
しかし、何を支えにこの先生きていけば良いのか。そんなことすら分からなくなってきていた。

「…ごめんなさい。借りさせてもらうわ」
フランはローザが所持していたナイフをそっと取り出し陳謝した。
本来であれば護身用の武器として使うのが正しいのだろう。が、人間に対する関心を無くしてしまった今、彼女にとってはひとつのお守りでしかなかった。

彼等の遺体を再び安置させ、しかしそれらのあまりの冷たさや血が抜けた後の肌の色、傷跡を見続ける余裕をフランは持ち併せておらず、逃げるようにその場から立ち去った。

「…、………あの死体…」
礼拝堂から離れ、行先に迷いながらも、持ち帰ってきた死体の事を思い出し、とある一室へと足を向ける。
古く錆びた扉を開けると、仲間の遺体を連れ帰るのと同時に回収しておいた来栖の遺体がそこにあった。
フランの体は既に酷く傷ついていたため、補強する為の素材が必要だったのだ。
だが来栖も死後日数が経過していたためか、それとも元から包帯を巻くほどの傷を負っていたせいなのか、身体の損傷は酷く、使えそうな部位は目しか残されていなかった。
「…捨てたほうが、良いかしら……」
そう口にはしたが、いつもの癖が体に染み付いていたせいか無意識のままフランは自らの能力で遺体から目を奪い、補強を行った。
奪ったことに遅れて気づき、自分の悪癖にやや呆れつつも手元に置いていた手鏡を取り出した。
ゆっくりと瞼を開けると、薄桃色に似た美しい色彩の瞳がフランを見つめている。
しかしフランはそれを見て嬉しそうにするどころか、次第に表情は緩く歪んでいった。
「…何、やってるんだろ……」

見てくれる存在は既にいないのだ。
今更自身を美しく作り変えたところで、誰が賞賛してくれるのか。
悲嘆に暮れながらそっと手鏡を置いて立ち上がると、アテもないまま古びた教会を後にした。
彼女に安寧を与える存在は、最早どこにもいない。


歩き続けておおよそ数時間が経過し、フランは少し休憩も兼ねて瓦礫の上に座っていた。
そのまま約十数分が経過した時、ふと遠くに人影を見る。
「…また家畜かしら。もう、何体いるのよ……」

フランがさまよい歩く間にも人間は度々見かけたものの、彼女にとっては最早どうでも良いものだった。ただ遠目から見つめ、危害を加えんとする人間からはいち早く距離を取り歩き去った。
フラン自身がボロボロだった事もあり、まるで自身の生活区域を侵食されていくような感覚すら覚えてくる。
仲間の死により、未来を見据えることのできない状態に直面していた。
人影はフランを注視しているようで、次第に距離も近付いてくる。

だがその顔が見えた頃、フランは思いもよらない名を耳にした。
「…な、……奈々生…っさ、ん?」
よろめきながら近付いてきたのはレジスタンスの内原。敵対していた筈の彼が、なぜかフランを見ながら悲しげに言葉を発しつつ近付いてきたのだ。
今までにない行動を見てフランはやや不審がっていたが、後に内原の言葉の意味を理解していくこととなる。

内原はあれから逃げ続けて疲弊が増しており、同時に長時間の絶食状態から強い空腹感に苛まれてもいたことから、視界があまり明瞭ではなくなってきていた。
そんな中、フランの持つ『来栖 奈々生』の目を見て魅了されてしまい、内原の中で自身が殺した来栖との思い出が鮮明に蘇っていた。
内原は、フランを『来栖 奈々生』だという強い錯覚に陥ってしまったのだ。

「……ぁ……あぁ゙…、な…なぉ…さ」
ボロボロと涙が溢れてくる。
謝りたかった。懺悔したかった。

どうして俺はあんな事を。どうして俺はあの銃を。

「ごめ…なさぃ、撃って、しまって……っごめ…なざぃ゙…」
結局、俺は同じだったんだ。父親と同じだったんだ。
彼女を好いていたはずなのに。離れるべきだったのは俺であって、銃を使ってまで彼女を止める理由なんてなかったんだ。
俺は罰されるべきだ。無様に逃げ出した上に死ねなかった。
どうしていつもこうなんだ?どうしていつも俺は…………。

身勝手なのは分かってる。けど、俺はどうしても貴女に謝りたい。あわよくば…

どうか、どうかどうかどうか。

「…っ俺を…、
……殺して……ください……」

フランは内原の一連の動作と言動の意味を断片的に悟り、自身と重ね始めていた。
内原はどういった経緯でここまでの傷を心に負ったのかまでは分からないが、どこか自分と同じ匂いを感じ取っていた。
「(…きっと、あの人間も……私のように…)」
フランは自身が奪い取った目の主を思い出していた。

内原は錯乱こそしていたが、確かにこちらを見て「奈々生さん」と発した。
もし、喪った大切な存在が、あの少女だったとしたら。
そこまで考えてから、今度はどうしようもなく辛い悲壮感を抱く。
「(…だったら……早く…終わらせないと)…」
撒いた種は弔わなければならない。
内原が自分と同じなら、もしそうであるのならば。

ローザのナイフを手に取り、内原に近づいた。
彼は抵抗せず、むしろ早く殺してくれと言わんばかりに顔を伏せ続けている。
その体勢は、フランから見れば神に対する『祈り』にも見えた。

「…さようなら」

言葉を発した直後に刀身の切っ先を内原に向け、躊躇なく彼の心臓部分を突き刺して刀身を押し込む。
肉を穿ち断つ感覚を手の内で覚えると同時に、「っぐぅぅ゙、」と苦しげに口から声が漏れ始める。
だが内原はそれを堪えて顔を上げ、涙と血液を溢しながらグシャグシャになった顔をフランに向けた。

「…っあ、りが……と…、なな…ぉ゙……さ…」
言い切る前に刀を抜き取られ、そのまま地面に倒れ込む。
目の前で血液が広がっていく中、内原はぼんやりと『居ない筈の彼女』を見つめ続けていた。
贖罪を果たせただろうか、と微かな思考を働かせ、そのフランが自身の『仇』であることには最期まで気付くことのないまま、満足した表情を浮かべて内原はそこで事切れた。

「…皆……」
フランはその場にへたり込む。次第に、無意識に涙が溢れ始めた。
持っていたナイフを持つ手が次第に震え、頭も深く項垂れていく。
こんな事をしても『皆』は帰ってこない。
それはフラン自身が一番良く分かっていた。
「(こんな事をして、一体何が得られるの?)」
『皆』が賞賛してくれることも、間違いを指摘してくれることも、側にいてくれることもこの先絶対に無いのに?

虎狼。
炎華。
ローザ。
「…私、どうしたら…良いの?」

ナイフを抱きしめて問いかけていたその時。
遠くから誰かの走ってくる足音と声が聞こえてきて、フランはのろのろと涙を緩く拭うと、音の方向に顔を向けた。

「大輝…、っどこに、…、
……!」
駆け付けたのは案藤で、フランを視界に捉えたと同時に、フランの足元で倒れている内原を見つけ、声がひゅ、と上擦る。
怒りが込み上がるのと同時に、案藤はフランの変化に気が付いた。
フランの瞳は以前とは違い、どこかで見た色彩を帯びていたものに変わっていた。
だが仲間が死んでいるこの状況下で全てを察するまでには到底至れず、フランから視線を外すと再度内原の遺体に目を向ける。

「……大輝、…これで、満足したのかい……?」
彼が贖罪を果たせたのかまでは分からない。
もしかしたら、フランの目を見て幻覚に惑わされた末、無念な最期を遂げただけなのかもしれない。
案藤はその時、かつてユレンに自身の贖罪について明かした事を思い出した。
今となって考えれば、あれも内原と同じ心境だったのだろうか。
だが当時のユレンは、その問いに対しハッキリとその場で案藤の考えを正した。

『そんなものは贖罪にはなり得ない。只の自己満足だ。
贖罪というものは、生きて人の救いになってこそ。違うか?』

あのときの言葉が鮮明に思い出され、まるで目の前でまた正されているかのような錯覚を覚える。そして同時に、背中を叩かれたような感覚を感じた。

あの強い叩き方は、東郷だ。

あの日に掘り起こしてから暫くポケットに仕舞い込んでいたドッグタグを、その場で初めて取り出した。
金属板に刻まれているのは東郷の生年月日と後から荒々しい字で書き加えられた簡潔な言葉。

『Я не забуду то, что видел в тот день.』
それを強く握り締めると、案藤はフランに再び目を向けた。
「…僕は、きっと、間違っていない。
そうでしょ?…みんな」
今は一人で、大した武器も持ち合わせていない。
だがそれでも、フランに立ち向かわなければいけない。
それは『人類の栄光』の為なのか、それともレジスタンスの皆の『誇り』のためなのか。
判断は後に回すことにした。それは、どうせこの先の人々が勝手に自身の行いを評価するだろう。今この場で自身の価値観をどうしようと、どうにもならないことだ。

きっとユレンが言っていたような『人類の救い』には到底なり得ない。
それでも案藤は、相手を倒し、責務を果たさなければいけない。

『彼女』と『師匠』との約束を果たすために。
東郷が遺した意思を無駄にしないために。
そして、皆の行いが間違っていなかったと証明するために。

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