第12話 Odinochestvo

緋高、樋崎と行動を別にしてから数日が経過した。
いくら待っても戻る気配がない状況に、案藤は不安を募らせていた。
だが今本部に残るべきなのは明々白々で、下手に動けば今度は此処を守る者が誰一人いなくなってしまう。そのような無責任な事態だけは避けたかった。

少し離れた場所で壁にもたれてじっとしている京も同じ意見であるようで、個人行動を取らず、案藤から極端に離れすぎない程度の位置で、無線機をじっと見つめて緋高からの連絡を待っていた。

「……」
案藤は無言のまま、懐からユレンが使用していた拳銃を取り出す。
来栖の遺体が回収した後、遺品として取っておいたと言う拳銃を緋高から譲り受けたのだ。

…まだこの食堂も賑やかだった時、案藤はユレンに冗談半分でその銃が欲しいと言った事があった。
…こんな形で受け取りたくはなかったが、と、後から自虐と後悔が波のように押し寄せてくる。

「(…東郷は、僕の魔法のせいで、死んだ。
……ユレンの時も、僕が…約束したのに…守れなかった)」

こうして樋崎達と内原の帰りをただただ待つしかない己の体たらくに呆れ、吐き気すら催してくる。
がしかし、それは身勝手な行動だと分かっていたため、どうにか胸の悪さはその場で抑え込んだ。

…それに、贖罪を果たすためにも生きる事をユレンと約束した。今度こそ破るわけにはいかない。

必ず帰ってくると、そう信じて生きて待つ他ない。
そう脳内で結論づけながら、案藤はふと顔を上げて京の姿を目に映す。
「(…幸見は…きっと…僕以上に、)」
かつて、ユレンから『もしも私に何かあったら、奴を頼む』と言われた事がある。
きっと『もしも』は起こらない、と思っていたが…そんな淡い期待はもう既に失われていた。

京は、無自覚の内に彼女へ想いを馳せていた。それは、少し遠くの案藤から見ても明らかなほど。
傷んだ心は、後になって腫れて響いてくるものだ。それが今、彼を襲っているのだとしたら。

「(…これ以上、失いたくない)」
そう何度も考えてきた。『あの時』から。最初から。
そんな思考が、京への心配を更に掻き立たせる結果となっていた。
だが今の案藤が京に何かできることもなく、ただ様子を見ながら案じる他なかった。

その日の夜、また襲撃の知らせが届いた。
避難民から炎を扱う化け物だと聞き、それが炎華だと確信。同時に、人の異様に少ない様を見た市民は不安を募らせる。

『な、なぁ……化け物を、倒してくれるよな?倒せる、よな?』
『なんでこんなに人がいないんだ…?これじゃあの化け物がいつここまで来るか……』

……無責任な言動には既に慣れきっていたものの、やはり刺さるものがある。
彼らの言葉は、この二人に期待を持てないというのも同然だ。
……それでも耐えなければいけないと思うのは、人としての業が災いしているのかもしれない。

「…刺し違えてでも、必ず倒すよ。だから避難して待っていて」
「………行こう。火は風と相性が良い」

緋高達と別れてから風の強い日が続いていたが、この日は特に絶えず吹き荒れていた。
京が言った通り、火は風に煽られれば更に火の手を広げる。火そのものが広がらなくても、火の粉が降りかかり被害を出すことだってあり得る。

廃墟を建て替えたとはいえ、可燃性の高い日本の家屋に火が移ればどうなるのか、みなよく理解していた。

「…うん。早く片付けよう、幸見」

避難民らに更なる避難指示を出してからすぐに準備に取り掛かった。
不思議と、行動の一つ一つに迷いはない。
そんな中、ユレンの銃を懐に仕舞ったところで内原を思い出し、彼の身を案じる。

「(…大輝も、昔の僕のように……)」
そう思いかけたところでかぶりを振って我に返る。今は思慮に耽る余裕などない。
どうか無事で、と願うことで思考にケリをつけ、京と合流するとすぐに外へと走り出した。


しばらく周囲を捜索すると、真夜中にも関わらず明るい光が見えた。
京も廃墟を照らすそれを見て確信したようで、手に持っている武器を一際強く握りしめた。

「…急ごう。あの火は…かなり温度が高い」
「うん。一旦、反時計回りに迂回しよう。風上を取らないと」

反射して青白く光っていた廃墟の壁を見た京は静かに危機的状況を呟く。
青い炎は摂氏1700度はある。こんな火力の高い炎が自然に発生するわけなどない事は、京も案藤も共に理解していた。

「!あれ……」
「…間違いないね。あれだけの火力も……」
目の前には高温で焼け爛れた地面。
辺りに散らばる瓦礫からは嫌な臭いが漂ってくる。

よく見るとそれは人のようだった。だが既に燃え尽きた後なのか、死後硬直をしたまま黒く焦げてしまっていた。

「…、ッヴ…」
「…酷い匂いだ。一体何人が…」

むせ返りそうな死臭に堪えつつ、二人は炎華の姿を目で探す。
すると、それほど遠くない所からユラリと影が立ち上がり、二人はすぐにその影の正体を炎華だと認識した。

「…ん?あぁ、コックに白い方の片目。悪いけど今日は店じまいだよ。あたしは今乗り気じゃない」
「…言ってる意味が分からないよ、これだけの人と……ましてや、ツバメを……殺しておいて」
「…こっちとしても、もう後には退けないんだ。理解できないわけじゃないだろ?」

そんな二人の言葉を尻目に、炎華はどこか疲れた様子で自身の胸を抱えるようにしながら、時折顔を歪める。
よく見ると、晒されている肌は以前より焼け爛れており、案藤はかつての七瀬の証言を思い出すとすぐに言葉を続けた。

「…火傷が広がってる。
…ねぇ、君は一体ここで何をしてたんだい?」
「何をって、アタシに挑んできたヤツらがいたのさ。アンタ達みたいにね。
…ま、結果はこの通りだけど」

レジスタンスに入ってから聞いたことのある話ではあったが、他にも似たような化け物に対抗する組織が存在することを改めて知った案藤は、ある人物に思いを馳せた。

一瞬だけ怒りと恨みがこみ上げてきたが、喉元でどうにかそれを押さえ込み理性を保つ。
京は、多くは知らないものの案藤を見て何かを察したようで、彼に向けて静かに緩く頷いた。

かく言う京はあまり炎華を化け者と思えずにいた。見た目もさることながら、彼女にはどうも曖昧な点が多い。
それは以前、ユレンが虎狼と接していた際にも抱いていた違和感でもあった。

炎華は炭となった死体を踏み付けると、スタッフを地面から引き抜いて軽く回してみせてから臨戦態勢に入る。
先程戦闘を終えたばかりなことも手伝ってか、炎華の切り替えは早かった。

「それでもやるってんならアタシは止めないよ。アンタ達もどうせコイツ等のお仲間入りだ」

「…口がよく回るね。脂が乗っている証拠かな」
「はぁ、これだからレジスタンスってヤツは……。もうちょっとデリカシーってモンがないのかい、っ!」

呆れるようにため息をつくや否や、瞬時に接近してスタッフを振り上げて先手を打つ。
炎華は自身のダメージが響いていたらしく、早い段階で二人を始末しようと考えた上での先制攻撃だった。
だがそれは京が反射的に出した巨大なナイフにより受け止められ静止されてしまう。

「ッハ…なぁコック。アンタはアタシと戦えるのかい?」
「っ、…少し、黙ってて」
「戦えないんなら、アタシはアンタには用がないんだよ!」
「!!」

油断したせいで回し蹴りをモロに食らってしまい、手からナイフが離れそうになったが持ち堪え、そのまま振り上げる。

「…っぐ、」
「幸見!」
「…大丈夫。折れてはいない。まだ戦える」

一般的な化け物と比べ力の弱いことを直に感じ、案藤の言っていた通り力の消耗が激しくなっているのを理解すると同時に、やはり人なのではないかという疑念が更に根を張ってしまう。
炎華が炎の能力を使わないこともそれを助長し、ナイフを持つ手はやや躊躇いを含んだ動きとなる。

「接近戦は危険だ。何か手立ては……」
「…あると、いいんだけどね」

焼かれた地面は熱を孕んでおり、さながらサウナにいるような暑さだ。衣服への引火すら起きかねない。
瓦礫が多いとはいえ、焼けて脆くなったり溶け出しているそれらはとても遮蔽物として利用できそうにない。

「何もしないならこっちから行くよ、ッ!」
ハッとして京は炎華に再び目を向けるとナイフでスタッフを受け止めるが、蹴られた脇腹が痛み、やや力が緩んでしまう。

(ジュ…)
「!?」
直後に持っていたナイフが急速に熱を帯び始め、炎華が炎でそれを熱した事に気付くと同時に、春風の遺体の特徴が思い起こされる。
彼女も、両手に酷い火傷を負っていた。

「っそう、何度も…!」
熱に耐えながらナイフを力一杯振り上げたが、スタッフによって受け止められると同時にカウンターで京に向けて突き上がってくる。
京は殺気に気付いて咄嗟に避けたが、今度は利き腕を抉られてしまう結果となった。

「っが、」
「っこの、」
「邪魔するんじゃないよ、!」
「‼、っぐ、」

案藤もポケットナイフを取り出し京のサポートに入ろうとしたが、それも瞬時にスタッフで弾き飛ばされてしまった。

かしゃん、と遠くでナイフが落ちる音を聞いたと同時に頭を脚で蹴飛ばされてしまい、とっさに腕で防いだものの反動で地面に転がる。

「ッゲホ…、」
「案藤さん!」
「よそ見してる暇があるのかい?コックは火元から離れないのは鉄則だろ!」

手負いになったのもお構いなしに次々とスタッフを叩きつけては追い詰めていく。
京はその動きを何度も制し続けたが、どうしても鋭利化に躊躇を覚えてしまう。

そんな暇はない。それなのに、あの光景を見てしまってからはそれが枷となってしまっていた。

「アンタ、魔法を使わないのかい?それとも……アタシをナメてる?」
「…っそうじゃ…ない……」
「だろうね、アンタは意志が弱い。あっちの片目と違ってね」
嘲笑うかのように口角を上げる炎華。京がそれに気づいた直後、カッと急速な光と熱気が襲い掛かる。

「!!!」
炎華が操る炎だと気づき、京はそのままやられまいと熱を持ったままのナイフを彼女に向けて力一杯突き刺した。

「っ幸…見、
……ッッ、」
案藤は痛む体を押さえ、懐に入れていたユレンの拳銃を取り出す。
何とか体を起こして顔を上げた時、案藤はその光景に息を呑んだ。

「ッッがァ゙、っ……ぐ、」
「…ッチ…女に刃物向けんじゃないわよ…」
京が突き上げたナイフは炎華の右脇腹を骨ごと突き破ったが、炎華の体を全て切った訳ではない。全て斬れなかったのは、魔法の発動タイミングが遅れたせいだった。
強い熱気で視界もぼやけてしまっていたことも仇となり、ナイフを炎華に掴まれてそのまま高い熱と高温の炎に京は晒されてしまった。

炎に包まれたまま脚で突き放され、手が緩んだ拍子にナイフは炎華の手の中に。。

ヒュン、と風切り音がしたと同時に京の視界で赤い鮮血が舞い、京は無意識に喉元に手を当てた。

奪われたナイフで喉を切られたと気づき、同時に、げぼ、と口から血が溢れていく。
「ーーっ…、ッガフ、」
「幸見!!!!」

状況を見て焦る案藤の声を耳が捉えたが、声が遠い。
そこまで遠いわけではない、筈なのに。

京は自身の状況を伝えようと声を上げようとしたが、喉から空気が漏れてしまい歪な音が鳴るばかり。
焼ける自身の臭いを微かに感じ取り、京は彼女を思い出していた。

(…嗚呼、)
あの人が、彼女がここに居てくれたら。
あの激昂した声を聞けるのに。
迷いを、断ち切ってくれたのに。

だが、彼女はもうこの世にいない。
それは京が一番良く理解していた。

(…ユレン、さん)

喉を押さえる手の力が緩み、意識が遠のいたと同時に自身の血溜まりの中に倒れ込んだ。


「さ、さち、………っうわぁあ゙ぁ゙ああぁ゙ァ゙!!!!!!!!!」

案藤は激昂と勢いのままに拳銃の銃口を炎華に向ける。
一度も点検や確認をしていない銃。
弾の有無はおろか、暴発さえ起きかねない銃。しかしそれを向けた案藤にはこの状況を打破する手立てはこれしか浮かばなかった。
このままでは京が死んでしまう。そう思ったがゆえの咄嗟の行動だったため、それは最早賭けであった。

炎華は貫かれた脇腹を手で抑える事もできずにいた為、激痛と火傷の熱傷で表情を歪めている。
「ッチ…、」

その案藤の行動に気付かない訳がなく、炎華はすぐに案藤に目を向けて体を向ける。
案藤も広くなった的を見逃さないよう拳銃を握りしめ、一気に引き金を引いた。

途端、拳銃がそれに呼応するかのように銃身から放たれ、それは炎華の身体を広く抉り、心臓はおろか上半身と下半身を2つに分断させた。
「あっ、………ぇ゙、??」

自身の下半身と肉、突き出て晒された骨を目の当たりにしながら炎華は顔を歪め、上半身と下半身だったものがどちゃ、と地面に落ちる。

誰の目で見ても死んだ事が明らかな化け物の遺体を目にしてから発砲の反動で手が震えていることに気付き、案藤はその場に座り込んだ。

ポタ、と地面に雫が掛かる。
やがてそれが周囲を濡らしていくと同時に、次第に周囲の炎はその雨によって鎮火されていく。
怒りで狂いかけた脳が段々と雨で冷えていき、ずぶ濡れになりながら持っている銃に目を向けた。

「…どう、して………」

逃げるわけにはいかなかった。
逃げるくらいなら、この場で死んだほうがマシだったとさえ考えていた。
そんな思いを一喝するかのように銃弾は放たれた。

まるで、ユレンがこの時の為に、この弾に力を詰め込んでいたのかのように。
しかし彼女のいないこの世界で、それを確かめる術はない。これはただの憶測に過ぎなかった。

「(…幸見を、連れて行かなきゃ…。
…大輝を………捜さないと……)」

思考は冷静になっても体は一向に動かず、ただ一人取り残された案藤は、弾が切れた彼女の遺品を抱いたまま、しばらくその場から立ち上がれずにいた。

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