第3話 Razbitoye serdtse

「すごいね、先週よりずっと上手くなってる」
「本当? 桔梗さんが教えてくれたおかげだわ!」
レジスタンス拠点のすぐそばにある空き地で、緋高が加入して間もない愛染に魔法の使い方を教えている。
「恋雪の魔法は使い方次第で今よりさらに強くなると思うよ」
緋高は彼女の前にある大きなクマのぬいぐるみを指さして言った。
ぬいぐるみを巨大化させて操る魔法。極めれば、もっと遠くから操ることや、俊敏に動かすこともできるかもしれない。
愛染は戦闘経験こそ少ないが、ポテンシャルや呑み込みの速さは将来有望と言えた。
あまり年若い少女に無理な戦いをさせたくはないが、それはそれとして彼女がレジスタンスのメンバーとして強くなることは、緋高にとっても安心に繋がる。それに、こうして頼ってもらえるのは純粋に嬉しかった。

「あ! あそこにいるの、大輝くんじゃない?」
愛染が、拠点の裏口から出てきた内原を見つけて手を振る。
「ねえ! 大輝くーん!」
呼び止められた内原は、声に驚いてこちらへ視線を彷徨わせ、肩をすくめている。
緋高はそんな彼の様子に少し笑いながらフォローを入れた。
「魔法の練習をしてたんだよ、大輝も一緒にどう?」
「えっ、お、俺ですか?」
「そうね! みんなで頑張ったほうがきっと楽しいわ!」
「ほら、恋雪もそう言ってるし」
笑顔を浮かべる二人の誘いを断る理由もなく、内原はゆっくりと頷いた。


「……っていうのが接近戦を得意とする化け物への対処法かな」
練習に混ざることとなった内原は、愛染と並んで緋高の話を聞いていた。
内原は緋高にとっての愛弟子だ。戦闘面でアドバイスをしたり、引っ込み思案な彼の相談に乗ったりと、彼がレジスタンスに加入した当初からとても可愛がっている。
「なるほど……」
「桔梗さん、やっぱりとっても教えるのが上手だわ!」
「そうですよね……師匠の話はいつもわかりやすくて……」
二人にそんなふうに褒められて、緋高は照れくさくなり目深にフードを被り直した。

「あっ、恋雪ちゃん……ちょっといいですか?」
「あら、つむぎちゃんまで!」
内原が出てきたのと同じ、拠点の裏口から顔を出した立花が駆け寄ってきた。
「今日の見回り……むぎと、恋雪ちゃんで行ってくるように、言われて……あの、恋雪ちゃんの、周辺の案内も兼ねて、って感じで……」
立花は不安そうに、両手を胸の前で握りしめている。そういえば、彼女が教える立場になることはこれまであまりなかった。
まだ加入から日の浅い愛染はもちろんだが、立花にとってもこれはいい経験になるだろう、と緋高は胸の内で思う。
「そうだね。ペア行動にも慣れておいた方がいいし……行っておいで」
「むぎに務まるか、わかりませんが……なんでも聞いてくださいね、恋雪ちゃん」
自信なさげに愛染の方を向く立花に、緋高が話しかける。
「立花さん、先輩として頼もしくなってきたね」
「そ、そう……ですか?」
「そうよ、つむぎちゃん! いつも頼りにしてるんだから!ね?」
続けて愛染が前のめりになって励ました。
「ありがとう、ございます……むぎ、がんばりますね!」
そこでようやく立花も笑顔になり、緋高はひっそりと安堵した。大切な後輩たちだ。彼女たちの成長は、できる限り見守っていたい。

立花と愛染が話している間、緊張からか黙って端の方に立っていた内原。緋高はそれが少しおかしくて、笑いながら声をかけた。
「大輝、どうしたの?」
「あ、い、いえ……」
「よし、じゃあ二人が見回りを頑張ってる間に、俺たちも特訓しておこう」
「はい、師匠……! よろしくお願いします」


「恋雪ちゃんが来てくれてから……もう二ヶ月になるんですね」
まだ新人の愛染と、加入から一年も経っていない立花のペアだ。見回りとはいえ、比較的化け物の目撃例が少ないエリアを巡ることになっていた。
「つむぎちゃんが恋雪のペアでよかったわ! だって毎日楽しいもの」
「そ、それはよかったです……」
愛染の感情表現はいつも真っ直ぐだ。これまでに立花が、自分なんてなにもできないと自己嫌悪したときも、皆の足でまといになっていないか不安になったときも、彼女はいつだって明るく元気付けてくれた。
「むぎも、恋雪ちゃんがペアでよかったです」
大切な居場所を化け物に奪われ、必死で逃げてレジスタンスまで辿り着いたのが約十一ヶ月前。そんな立花に古株のレジスタンスメンバーが、この世界で生きる方法や戦い方を教えてくれたのだった。
今は自分がこうして誰かを案内する立場になれたこと、仲間の役に立てていることを、彼女は嬉しく感じていた。
働いていたメイド喫茶が壊されていなければ、素敵なお友達ができたんだよって同僚のみんなに紹介したかったな。お店のメニューにあったいちごのパフェ、かわいい赤と白だからきっと恋雪ちゃんに似合っただろうな。叶わない想像をしながら、立花は愛染を導き歩みを進めていった。

「あっ……このあたりから向こうは、少し危険なエリアになります……」
立花が指をさした先は、これまで歩いてきた道とは打って変わり、進んで立ち入ろうとは思えないほど荒れ果てていた。崩れて鉄骨の剥き出しになった建物の残骸がいくつも放置されている。瓦礫もそこかしこに散乱しており、どう見ても足場が悪い。
「一人のときは、絶対こういうところに近づいちゃダメです」
「わかったわ、なんだか危なそうだものね……」
「はい……ここも、昔に怖い化け物さんが壊した跡、らしいです……」
微かに漂ってくる死の気配。立花も、隣に愛染がいるとはいえあまり長居したい場所ではない。
「……今日は化け物さんの目撃情報もありませんし、もう移動しましょうか」
立花が引き返そうとした、そのときだった。

「つむぎちゃん! あそこ!」
「えっ?」
愛染が声をあげ、立花が目を凝らすと、瓦礫の奥に人影があった。いや、人……ではない。
真っ赤な長い爪、血の気のない白い肌。人間のようでいて、各部位が少しずつ異形めいている。
「ば、化け物さん……!」
立花は顔面を蒼白にした。殺される前に隠れなきゃ、と、咄嗟にそう考えたが、今は愛染がいるのだ。自分のほうが先輩で、彼女を教える立場にある。地面を強く踏みしめた。
「あの化け物……ローザさん、だったわよね。たしか、レジスタンスのデータにも記録されていたわ」
「む、むぎも……見たことがある、気がします……」
愛染は他のメンバーについていくための努力を欠かさない。新人ながら、化け物についてもよく調べてあるようだった。
ローザ。彼女の発した名前には立花も聞き覚えがある。噂によれば、たくさんの人間を殺してきた、本当に恐ろしい化け物だという。

「っ……ごめんなさい……むぎがこのルートで来ちゃったから……」
「そんなのつむぎちゃんは悪くないわ! 大丈夫、つむぎちゃんと恋雪なら勝てるはずよ」
隣に立つ愛染の横顔、赤い瞳はまっすぐローザを見据えている。
「……つむぎちゃん、ローザさんとは目を合わせちゃダメらしいわ。前に桔梗さんが教えてくれたの」
「わ、わかりました」
立花はさっと下を向いた。目を合わせたらどうなるのかはわからない。けれど、きっと怖い目には遭うのだろう。顔を見ないように、視界の端の方でローザの居場所を確認する。
向こうも気がついていたらしく、彼は明らかにこちらに向かっていた。一歩、二歩、少しずつ、けれど確実に近づいてくる。
「ローザさん、実物もとってもかっこよくて素敵ね。でも、絶対に負けないんだから」
愛染がクマのぬいぐるみを取り出した。
「行くわよ、ラブちゃん!」
ドスン、という重みのある音と共に、小さかったぬいぐるみは二メートルほどの巨大な姿に変身する。
ローザが二人の目の前まで到達したのは、ほとんど同時であった。

「これは……コレクションしがいのある美しい人間が二人も。お会いできて嬉しいです」
どこか興奮や期待を含んだような声色。化け物でありながら、人間に対し恭しく発せられた言葉が、逆に立花の恐怖を掻き立てる。得体の知れない不安に全身が支配されそうになる。ひどく手が震えた。やっぱり逃げ出したかった。それでも、戦うと決めたからにはやるしかない。
零れそうになる涙をぐっと堪える。ライフルの取っ手を握りしめ、ゆっくりと息を吸う。
「ご主人様! むぎがお相手いたします!」
背筋を正して、威勢よく叫んだ。メイド喫茶で働いていたときのように、仕事に出ていくつもりで自分を奮い立たせる。
「いいですねぇ……貴女の果敢なその姿、非常に美しく愛らしい……ぜひ、ハートをいただきたいものです」
ローザが何を言っているのかなんて、もうわからない。怖い。怖いけれど、不安を頭から振り払った。銃の照準を合わせる。
「撃ち抜いちゃいますね、ご主人様!」
立花はライフルの引き金を引いた。

一発、二発、三発。
ローザは手にしていた銀色の剣で、次々に自分へ飛来してくる弾丸を弾き、受け流した。
「まだまだ、です……!」
さらに三発。しかしそれらも全て受け止められた。
「今よ、ラブちゃん!」
そのとき、愛染の叫びとともに、巨大なクマのぬいぐるみがローザの胸元を強く殴りつけた。
衝撃で後ろによろめいたローザに追撃を加える。巨大化したクマは重量もパワーも凄まじく、化け物相手でも引けを取ることなくダメージを与えていた。
「ラブちゃん、すごい……!」
立花もすぐにライフルの弾を装填し直し、もう一度引き金を引く。
今度はローザの左腕を掠めた。軌道の逸れた銃弾は、長いマントに穴を空けた。


ローザと目を合わせてはいけない。そう聞いていた愛染はラブちゃんを盾にする戦法を考え出した。
巨大化したラブちゃんは強力で、自身に代わって前線で戦わせることができる。二人の前に二メートルを超えるぬいぐるみを置くことで、ローザの攻撃も、迂闊に彼の目を見てしまうという事故も防ぐつもりだった。
咄嗟に思いついたものだから、立花には伝えていない。しかし彼女が銃弾を放ち、その間だけでもローザの意識が立花に集中してくれたことが幸いし、作戦は実行に移せた。
敵の剣は、リーチがそれほど長くない。距離を取って戦えば、少しずつでも確実にダメージを与えられるはずだ。

「くっ……」
ローザが呻いた。ラブちゃんが彼の胴を掴んだのだ。ラブちゃんのパワーなら、化け物であっても動きを封じられるだろう。そのまま重量で押し潰すか、あるいは立花が彼の心臓を撃てば、勝てるかもしれない。
「……そのような術を使えるとは……ますます貴女に興味が湧いてきました……貴女のその意志の強そうな目、欲しいですね……」
ローザが何かを呟いている。その声はラブちゃんの腕にに圧迫され苦しそうでありながら、どこか楽しげでもあった。

「ラブちゃん! もっと締め付けて!」
愛染は術に力を込める。大きなラブちゃんに隠れて、ローザが今どうなっているのか、どんな顔をしているのかはわからない。ただ、苦痛に唸るような声は聞こえた。
隣で立花がライフルをさらに撃ち込む。
そのまま押し潰して、と愛染がラブちゃんに最後の命令を下そうと神経を研ぎ澄ました、ときだった。

「貴女の目を……見せてください」
なにかが、裂ける音がした。

「えっ……?」
愛染が気がついたときには、ラブちゃんの背中から銀色の刃が伸びていた。
「なんで……!」
ローザの剣だった。
ラブちゃんがいくら強く巨大な姿であっても、ぬいぐるみであることに変わりはなかった。刃物を突き立てられれば簡単に切れる。貫かれた刃は柔らかい布を縦に引き裂き、無惨にも愛染の周囲に綿を飛び散らせた。
「ラブ、ちゃ…………」
最後まで声にはならなかった。目を逸らそうにも遅かった。真っ二つになったラブちゃんの向こう側、やけに興奮気味の化け物の瞳が愛染を捉えていた。

ローザの持つ「目を合わせた者の動きを止める」能力が発動した。

身体が動かない。どれほど全身に力を入れても、愛染の四肢は石のように固まってしまっている。あの目を見ていてはいけないのに、顔を伏せることもできない。視界の中央でローザが笑っている。その笑みには享楽が浮かんでいた。
彼の持つ銀色の細剣が陽の光を反射し、眩しいほどに鋭く光る。振るわれた凶器によって、愛染の左手は呆気なく切断された。
地に落ちる手首から先。緋高と何度も繋いだ手だった。大人の男の人の大きな手で、優しく包み込んでもらうのが好きだった。

……そんな戦いとは無関係なことばかりが、妙に頭をよぎっていく。
「貴女は、やはり美しい……」
いつの間にか、ローザの手にある光る刃は、愛染の心臓を刺し貫いていた。
「恋雪ちゃん!」
愛染の耳を、悲鳴のような自分の名前を呼ぶ声が突き刺した。
つむぎちゃん。応えようとしたが、口が動かない。
ローザの、美しくも血が凍るほどの恐ろしさを湛えた玉虫色の瞳。その脅威から視線を逸らすことも、未だ叶わない。気を抜けば吸い込まれてしまいそうだった。
傷口が焼けるような熱を持っている。不思議と痛みはなかった。ただ、胸から腕から血の溢れていく感覚が止まらず、気が狂いそうになる。
だんだんと視界が霞んできた。ローザの顔がぼやけて滲む。身体を動かそうと抵抗していた力さえ抜けていく。
つむぎちゃんは……つむぎちゃんは無事だろうか。さっきから、彼女の声が上手く聞こえない。
「…………」
愛染の意識は、そこで途切れた。

…………。
……………………。

気がつけば、暗闇の向こうにみんながいた。
大好きなお父さんとお母さん、優しいお兄ちゃん。三人が手を振っていた。
大切な友達もいた。ツバメちゃんがはしゃいで、夏実ちゃんがツッコミを入れて、澪莉ちゃんとつむぎちゃんがそれを見て楽しそうに笑っていた。
桔梗さんがいた。あたたかい声で「恋雪」と、少し照れたように名前を呼んでくれた。
愛染もつられて笑顔になった。
みんな、みんなみんな大好きで、うれしくて、本当に幸せだった。


「どうして、恋雪ちゃん……嫌です……そんな、恋雪ちゃん……」
立花はライフルを構えていた手を、だらりと力なく下ろした。地面にへたり込む。戦わなければいけないときなのはわかっていた。けれどショックで両足が震えて、とてもまともに戦えるような状態ではなかった。
夢だと思いたい。これが、悪い夢であってくれたなら。
目の前で、愛染が心臓に剣を突き立てられ倒れている。ずっとそのまま動いていない。おそらく死亡している。
どうして。立花は涙を零した。これからの戦況を憂うゆとりはなかった。愛染のことだけで精一杯だった。どうして、恋雪ちゃんが死ななければいけなかったんだろう。あんなに強かったのに。あんなに一生懸命だったのに。
立ち直れない気がした。もう、なにもできない気がした。すっかり戦意を喪失してしまった立花に、ローザも興味を失ったようだった。
「誰か、誰か助けて……東郷さん、緋高さん…………恋雪ちゃんが……」

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