第7話 Gallyutsinatsii

「はあ、はあ……ッ……」
両足は既に骨を砕かれ、動かすこともままならない。あばらや左肩を始め骨もあちこち折れており、生きていることが不思議なくらいだ。100年以上も変わらぬ姿のまま生きられる化け物の驚異的な生命力に救われた、と言いたいところだが……先の戦闘で負った傷はあまりにも深く醜く、いっそ殺された方がマシだったかもしれないとさえ思う程だ。
だからといって、死にたいわけではない。ローザには会わなければいけない相手がいた。
フランさん。
どうせ死ぬとしたら、彼女の傍らがいい。
あの美しい姿を目に焼き付けたまま命が終わるなら、それは幸せな人生に違いない。
今はただ、帰ることだけができれば良い。
這いつくばり、腕の力だけでなんとか前に進むが、やはり限界があった。腕の痺れは酷くなり、肩からは力が抜け、上体を起こしていることすらままならなくなった。
「くっ……」
転がるようにして瓦礫の上に横たわる。やけに地面が冷たい。仰向けになり、曇りの空をぼんやりと見つめることしかできなかった。
瀕死の状態に追い込まれようと、これまでの出来事が走馬灯となり流れたりはしない。どんなときでも思い出すのはただ、フランの姿ばかり。

それから、どのくらい倒れていただろうか。時間の感覚が曖昧になってきた頃、こつ、と瓦礫を踏み鳴らす音がした。
突然現れた、生命の気配。
「……あ、化け物?」
続いて、何者かの声がした。自分のことを化け物と呼ぶからには、知り合いではないだろう。おそらく人間だ。
戦闘になれば今の自分に勝ち目はない。そもそもこんな身体では剣を振るうことはおろか、立ち上がることさえできそうにない。ひとまず目だけを動かし、声の聞こえた方向に焦点を合わせた。

そこには見覚えのある、小柄な少女が立っていた。たしかレジスタンスの人間だ。
ナナオ……といったか。
彼女は以前見たときの可愛らしい雰囲気とはずいぶん変わって、不気味とも取れる薄い笑みを口の端に浮かべている。

「アナタ……レジスタンスのみんなを殺したやんね? うち、ずっと見てたよ」
その右手には刀が握られている。もしかすると報復に来たのかもしれない。

「……ずっと?」
ローザは少しだけ身構えた。浅ましく命乞いをするつもりはないが、フランに会わせてもらうことなく殺されるのには抵抗がある。
「うん、"光"に会いたいから。ずっと見てたよ」
光、と口にするとき、彼女の笑顔はさらに不気味な……恍惚としたものになった。それが何を指すのか、ローザにはわからない。
「アナタはたくさんの人間を殺して、その死体から身体の一部まで奪って……結構やれる強い化け物って思ってたのに、こんなところで倒れてるなんて。うち、期待しすぎたかな?」
期待? 人間に期待をされるとは、どういうことだろう。彼女は機を伺い自分に復讐しに来たわけではないということなのか。
ますますわからなくなる。
「"光"になれないなら、意味ないやんね」
「待って……ください」
淡々と続ける彼女に向けて、ローザは息も絶え絶えに言葉を発した。
「"光"とは……なんなのですか……?」
「もちろん、うちの生きる理由!」
無邪気な子供のように、笑って答えられた。即答だった。

「今……うちは"光"を見つけられそうなんよ。それはもう、人間のままうちの願いを叶えてくれそうな、今、誰よりも期待してるまばゆい光……! 絶対に"光"として完成させる。それが、うちのレジスタンスでの……本当の役目」
来栖は続ける。
「そのためにはアイツが邪魔……京幸見……殺してしまうのもいいけれど、なんとかして成り代われないかな? アナタはどう思う? ……って、人間のことなんて化け物に聞いても仕方ないね、あははっ」
こちらが聞いてもいないことまで語り始める来栖。返事をするのにも体力を使うため、ローザはただ黙っていた。彼女の言う"光"の意味を理解できるとは、とても思えなかった。
「アナタを……アナタたちを……愛しているの!わたしはアナタのために……絶対に"光"を探してみせます、アナタが"光"であること、絶対的な希望であることを証明してみせますっ……そのために……そのために……そのために…………」
最後のほうは、抑揚のない声でなにやらブツブツと呟いていた。半分も聞き取れなかったが、精神状態が正常でないことは容易に見て取れる。
「そういうわけ、だからね?」

そして。ローザに向き直った来栖の瞳はいつの間にか、とても冷たく暗い色に変わっていた。まるでこの世の全てに絶望したかのような。それは"穢れもの"のする顔だった。
「ここで死ぬ程度の弱者は、最初から"光"になんてなれなかったの。"光"以外は必要ないよね」
さようなら。そう告げると、彼女は右手の刀でローザの胸を一直線に切り裂いた。元々極限まで傷ついていた彼の身体を死に至らしめる、最後の一撃だった。
「うぐっ……」
ローザは呻いた。血の匂いがあたりに広がる。遠くで、ぼんやりと来栖の声がしている。
「"光"ある未来が見たいでしょう? 闇なんてもう、見たくはないでしょう?」
誰に言っているのだろう。最後に残った意識を掻き集め、暗くなっていく世界で考える。彼女の美学とはきっと相容れない。

「"アナタ"をずっと探していたの! やっと、やっと出会えそうで嬉しい……! わたしだけの神聖、絶対、唯一の希望!」
来栖はもう動けなくなったローザに向けて……ではなく、他のなにかに熱の入った声で力強く語りかけていた。光のない澱んだ瞳は、ローザを超えた先にあるなにかを見つめている。形のいい唇から、熱っぽく上擦った声が吐き出される。
「はやく、早くわたしを! わたしを…………して…………に、はやく……! 愛しています! すきすき、だいすきっ、わたしの"光"……! あは、あはははは! はははははははは!」

暗い廃墟の壁に、いつまでも少女の甲高い笑い声が反響していた。


人間の死も化け物の死も、何度も見てきた。それでも、自分が死ぬというのは、実感し難い不思議な感覚だった。
レジスタンスの少女に胸を裂かれたことは理解しているが、それ以前から大きな傷をいくつも負ったせいか、あまり特別に痛いだの苦しいだのと思うことはなかった。ただ、その一撃が決定打であることは嫌でもわかった。死の気配が濃厚に漂っている。指先から体温がなくなっていき、徐々に意識が朦朧とし、現在いる場所が夢なのか現実なのかわからなくなる。
今際の際に見たものは、夢だったのだろうか。
薄れていく意識の中、人の形をした影を見た。誰だろうかと、暗くなった視界で必死に目を開けて……ローザは息を飲んだ。

『彼女』がそこにいたのだ。
すべてを捧げてもいいと思った、あの美しい姿で。
初めて出会ったときに自身を狂わせた、鮮明に焼き付いた記憶の中のままの姿で。
「フラン、さん……」
名前を呼んだ。こんな、地に伏した姿勢のままで世界の誰よりも美しい存在と向き合うなど無礼も甚だしいが、どうしても力が入らない。意識を保つことで精一杯だった。
「夢だとしても……会えて嬉しいです……」
ローザは幸せな顔で目を閉じた。
どんな穢れものに理想を阻まれかけようとも、彼女だけはいつだって美しかった。
彼女がいたから。この人生も彼女のためにあったのだ。

「フラン、さん、今日も……美しい……です、ね」
反射的に喉を絞った。言わなければいけないと思った。
彼女を美しいと、何度だって。

──当然でしょ、私は最高傑作よ。

そう答えて満足げに笑う声が、最期に聞こえた気がした。


その頃、レジスタンスの拠点。

(やっぱり……あの場で魔法を使わなければ……東郷は……)
(違う、東郷は、あの化け物をどうしても倒したかったんだ、それを果たしたんだ)
(でも、間に合わなかったのは……僕のせいで……)
案藤はもう泣いてはいない。それでも後悔や苦しみは次々と押し寄せ、ぐるぐると廻っては脳裏を支配していた。
「そうだ、東郷と、約束したんだ……」
東屋に以前、『自分が死んだらしてほしいこと』として託されていたことがある。埋めて隠していたあるものを掘り起こす、というものだ。
部屋を飛び出す。今でなくてもいいのかもしれないが、どうしても今、東屋の意思の宿ったものに触れたかった。焦りすぎていることくらいわかっている。それでも、それでも……。
「どこへ行く、屋外での単独行動は禁止だ」
「ユレン……」
拠点から出ようとした案藤を呼び止めたのはユレンだった。普通に歩いているようだが、足の怪我はもういいのだろうか。
「行きたいところがあるのなら私が同行する。特に今の君は、一人だと何をするかわかったものではない」
ユレンは仲間の誰が死んでも一切動じなかった。案藤の話を聞くつもりもなさそうな淡白な言葉。託された約束は東屋との秘密でもあるため、一緒に来られたら困るのだけれど。
ふいに、掴むように手を握られた。爪が食い込みそうな強い力だった。優しさも気遣いも何も感じられない、一方的で乱暴な握り方。
「……痛いよ、ユレン」
案藤は拠点に戻ってから初めて笑った。これが彼女の自分本位で不器用な労りであることくらい、わかっていた。
「ほら、人と人はね、手をこうやって繋ぐんだよ」
彼女の小さな手を柔く握り返し、反対の手で外へ繋がる扉を開いた。


「そういえば、奈々生さんは……?」
内原が来栖の不在に気が付いたのは、案藤たちが帰還ししばらく経った後だった。
緋高は、自身も東郷の死にひどく胸を痛めているものの、日頃気丈なペアの樋崎が泣いていたことから、そちらを気遣っていた。今は奥の部屋にいるのだろう。
案藤はつい先程ユレンと共に外へ出ていくのを見かけたから、おそらくしばらくは帰ってこない。
現在レジスタンスの共用スペースにいるのは内原と、あとは京と七瀬の二人だけ。
京はいつも通りの無表情で、ユレンが席を立った際に置いていった資料を片付けている。昼過ぎから行われていた魔法の研究会は、お開きになったようだ。
七瀬は刃物を研いでいた。愛用しているリボンのついた鉈だ。彼女は化け物を倒すために戦闘のない日も武器の切れ味を整えており、仲の良かった春風を亡くしてからはそれが特に入念になっていた。
「あ、あの、お二人とも……奈々生さんがどこにいるか知りませんか……?」
「そういえば、いないね」
「ですね、朝から一度も見てねえです」
「そう、ですか……」
一緒に探しましょうか? と言ってくれる七瀬に、なんと返していいのか分からず断ってしまい、内原は一人で廊下に飛び出した。こういうときにもう少し他人と上手く話せれば……と項垂れかけたが、今はもっと大切なことがある。
「化け物が出たばかりなのに……東郷さんが、あんな…………なのに、奈々生さんが一人で外に出ていたら危険だ……」
最悪の状況を想像し、内原は青ざめる。こんな状況で、もしも単独行動をしていたとしたら。もしも、そのとき化け物に見つかってしまったら。
ペアであると言う関係性以上に、初恋の人だ。
人間が、仲間が次々に死んでいく中で自分勝手だとは思うが、来栖は誰よりも死なせたくない。彼女だけは無事でいてほしい。
「奈々生さん、いませんか?!」
拠点のあちこちを必死で探した。なんでもないような顔で、どこかの部屋から出てきてくれればそれでいい。
「奈々生さん……いたら、返事をしてください……!」

……。
……どこにもいない。
内原の声を聞きつけ緋高が廊下に出てきたが、来栖を見ていないかと聞いても、朝から見てない、と二人と同じことを言う。
一体、一人でどこへ行ったのだろう。

拠点内に、来栖を呼ぶ声だけが虚しく響いていた。

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