第8話 Krakh

愛染恋雪。
立花つむぎ。
春風ツバメ。
東屋東郷。
立て続けに、四人殺された。それも、望みを果たせないまま。
メンバー内で暗い雰囲気が漂う中でも、とりわけ一人でずっと自身を追い込んでいる人物がいた。

四人の遺品を手に持ち、時折眺めては頭を抱えているのは樋崎。
彼らの遺体は既に収容、然るべき処置が取られた。ゆえに今この場に肉体はない。
その代わり、樋崎の手前にある机の上に、愛染のリボン、立花のポシェット、春風の錆色が付いた包帯、東屋のヘアピンが無造作に置かれていた。

「…どうして、どいつもこいつも先走るのよ……」
樋崎は到底理解が及ばず、だがどこか納得がいってしまう彼等の思考にただ頭を痛めていた。

ー一体、何が正しいの?

誰も答えない一人きりの部屋の中で項垂れていると、遠くから駆けてくる足音が聞こえてきた。
ハッと我に返った樋崎はすぐに顔を上げ、部屋のドアを開けて来訪者の確認をする。
そこには心配そうな顔をした七瀬が立っており、おずおずと樋崎の表情を伺っていた。

「だ、大丈夫ですか…?」
「…平気よ。これくらい」
平静を装うが七瀬にはバレていたらしく、彼女は一度ぐっと口を閉じてから樋崎へと一気に言葉を投げる。

「私のせいでツバメちゃんは…亡くなってしまった、ですけど……でもあの時、夏実ちゃんが私にちゃんと前を向けって言って励ましてくれたです!だから、私は頑張って前を向くです!
……だから…夏実ちゃんも、その……」
途中から言いづらくなってきたのか声が小さくなっていき、視線も外れていく。
やはり幾ら気を保とうとしても自責からは逃れられずにいるようだった。
勿論、樋崎も同様ではあったが、ペア相手の緋高の前の向き方を思い浮かべると、どうしてもこの二人の前では狂うことも叶わない。

ーゆえに、正気を保ち続けるよう隠し通すしかなかった。

「分かってるわ、そのくらい。私より、自分の心配しなさいよ!じゃないと、また怪我するわよ」

ハキハキと発された言葉に七瀬はハッとして顔を上げ、また励まされたと感じたのか、失笑しつつも笑顔を相手に見せた。

「えへへ…、やっぱり夏実ちゃんには敵わねぇです!」
ーそんなことない。私だって。
そう言いかけたが喉元で留まり、明かす事が適わないまま一人静かに言葉を飲み込んだ。

夜になってからユレンと案藤が本部に戻り、休憩する間もなく臨時の作戦会議が開かれた。
最初に上がった議題は欠けたペア問題。案藤と樋崎は暫し頭を悩ませていたが、ふとユレンが七瀬と来栖のペア結成を提案した。

「どういうこと?ペアなら内原が…」
樋崎はそこまで口に出すも最近の内原の様子のおかしさを思い返したのか言葉を切り、ユレンはそれらを察してか静かに頷いた。

「依存はいずれ身を滅ぼす。それは仲間の死をもって分かり得たことだろう?これ以上の損害を出す危険性があるままにしておくのか、私にとっては甚だ疑問だ」
「…それは……」

「ウチは構わないやんね。相棒くんがいいなら、だけど」
更にユレンが畳み掛けるよりも先に来栖が許可を出し、七瀬に顔を向ける。

「あ、私は問題ないです!」
「キミは?」
来栖は七瀬の返答を受けるやいなや間髪入れずに内原の顔を見た。
表情も声も普段の彼女そのものだったが、何か圧を感じたのか、内原は言葉をつぐんでしまう。

「…う、うん。俺の事は…お気遣いなく…」
本当は側に居たい。だがそれはワガママで、なおかつユレンの忠告をないがしろにすることになる。選択肢など無いも同然だ。

「絶対に化け物をぶっ倒してやるです!宜しくお願いしますね、奈々生ちゃん!」
「うん、こちらこそよろしくやんね」
樋崎と緋高は最初こそ互いに面識が少ない両者のペア組みにやや不安を覚えていたが、二人の様子を見、若干ながら顔に安堵の色を浮かべた。

「私はこれから京と共に周辺の視察に向かう。夜は特に危険をはらんでいるからな。防衛が薄れた今、油断できん」
「…分かった。ユレンさんがそう言うのなら、俺はそれに従うよ」

京はユレンの言葉にゆっくりと頷き、無表情のままで彼女に向き直る。
今まで本部内で警戒を強めていた事もあり、表には出さずとも密かに刃に磨きを掛けていたようだった。ユレンもそれを知った上で自ら視察に乗り出したのだろう。

「…それじゃあ、臨時でも構わないから、大輝は僕と来てくれないかな?これから一般住民に向けての配給をしなきゃいけなくて……ちょっと手が足りてないんだ」
「ぁ、は、はい!」
案藤は時折内原から恋愛相談を受けていたため、現在の内原の感情をよく理解していた。
だからこそ、少しでも利になる行動をして来栖からの不評を買わないようにと声を掛けたのだ。

何かしら行動をしていれば、いずれは離れるきっかけが掴めるかもしれない。
案藤の指示を受け、案藤と内原は会議場を後にした。

「…ひとまず、今日は他の皆は休んでくれ。さすがに…色々と事態が大き過ぎる」
緋高のセリフには重みと説得力があり、他のメンバーは頷くとその場で解散する。
案藤の手伝いに乗り出していた内原は、物資を運ぶ最中にふと窓に目線を向けた。

夜空には、やけにちらつく三日月が浮かんでいた。
夜が明けてから一通りの準備を終えると、早速来栖と七瀬は人員不足により手が回っていなかった保有区域に足を運んでいた。
ここは前日の夜に監視を決めた区域で、かつては愛染と立花が担当していた場所でもある。
「…」
「もう少し気楽でもいいと思うよ、少年」
どうやら七瀬は寝られなかったようで、監視する目を細めながらも、鉈を握る手はややこわばっていた。
今までの事が起因しているのは確かな事だったが、来栖にとっては至極どうでもいいような感覚すら持ち併せていた。

「そんなに気張ってると、そのうち歯が欠けちゃうやんね。もう少し気楽にしよ?」
「え?あ…本当です。気付きもしませんでした」

七瀬はいつの間にか食いしばっていた歯の痛みに気付き、苦笑を浮かべて来栖を見る。
そんな彼女の思考を知ってか知らずか、来栖は横目にふうと軽い溜め息を吐いた。

「うん?アレって…」
「え?」
チラ、と光る金属の反射と人影に気づき、二人は見上げる仕草をしながら鉄骨が剥き出しになった建物に目を向ける。
よく見ると、虎狼がこちらを見下ろしながら刀を抜く様が見える。
虎狼は化物の中でも人間に向ける敵意が一際強く、レジスタンスのメンバー内でも、その脅威はよく囁かれていた。

やや不機嫌そうな表情の虎狼は憎い人間とは会話をする気もないのか、鉄骨から飛び降りるとすぐに瓦礫を飛び伝いながら急速に二人に接近してくる。

「っ!少年!」
「分かってるです!」
すぐに七瀬は前に出ると鉈で虎狼の斬撃を打ち返す。しかし打ち込まれた力が強かったのか、即座に腕が痺れてしまう。

「あーもう、見てられないっ…やんね!」
来栖は七瀬を能力で瓦礫を使って位置関係をそのまま変え、続けて斬りつける攻撃を寸前で躱させる。

「た、助かったです…」
「うちがいてよかったね?」
「…フン、人間は陳腐な猿真似が得意のようだな。忌々しい」
「猿真似したのはそっちです!人間の技術を盗んでんじゃねぇですよ!」

虎狼は来栖の能力が気に食わなかったようで、すっかり刃が欠けた刀をその場に捨てるとすぐに新しい刀を生成する。

「人間風情が私に声をかけるな。耳が腐る」
「!」
言い返す間もなく虎狼は七瀬に襲いかかり、曲線を描きながら何度も刀を振り回し距離を詰めていく。

「…、…っっ、」
早い斬撃を何とか鉈でかわし続けているが、何度でも新しく刀を生成されてしまうせいで、しっかり砥いで磨きを掛けた鉈の刃先には次第に凹凸が出来ていく。
このままじゃまずい、と七瀬が危険を感知すると同時に、先程と同じ急速な視界の移動が体を襲う。

「!」
瓦礫の壁に追い詰められたところですかさず来栖が新しく見つけた身代わりの瓦礫を使って七瀬と場所を交換させていたらしく、またしても虎狼の刀は瓦礫を斬りつけ刃が欠けてしまう。
ギャリリ、と砂とコンクリートを削る嫌な音が木霊する。
「…ッチ、何処までも煩わしい…」
またすぐに刀を生成するが、効率の悪さに苛立ちが募りつつあるのか、虎狼の表情は次第に歪んでいく。
目線は来栖に向いたようで、彼女自身も身の危険を察知した。
「…まずは貴様からだ」
「!っ、駄目です!」
転移された場所から即座に駆けていき、また虎狼の前に立ちはだかる。
だが虎狼はその行動を察知していたようで、刀を逆手に持ち替えるとすぐさま七瀬を退かすべく脇腹に峰を勢い良く叩き付けた。
「ッぎ、」
峰打ちとはいえ化け物の攻撃力はやはり凄まじく、鉈で防ぐ間もなく容赦のない激痛とどこかが折れたような音が伝わってくる。
耐えきれずに倒れ込んだ七瀬を蹴飛ばし、虎狼は再び来栖に目を向ける。
その顔に浮かぶのは苛立ちと怒りが入り混じった、憎悪そのものだった。
「ぁ、っが……ァ゛ぁ゛、」
「先ずは貴様が死ぬのが先決だ、人間」
「っ、それは困るよ…!」
来栖は即座に相手と距離を取ったが、早く仕留めたいのだろう、虎狼は一気に来栖の懐にまで急接近する。
「…っ」
すぐさま間近にあった瓦礫やスクラップと何度も入れ替わって斬撃をかわし続けるが、幾度となく新しく替わる刀のせいでそれらは次々目の前で粉砕されて追い詰められていく。
来栖も能力を何度も使ったせいで次第に疲弊してきており、逃げる足取りも重くなっていく。
(こんな、所で、死ぬわけには…!
どこか…何か、代わりになるものは…)
身代わりとなる物の在庫が来栖の周辺からすっかり無くなってしまい、瓦礫すら無い更地で来栖は必死に周囲を見回す。

(…あ)
あった。こんな身近に。
どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。

「死ね」
来栖の思考など露知らず、虎狼は刀を振り上げ相手の肩辺りから一気に斜めに斬り下ろした。
飛沫のように上がる赤色。
肉と骨を斬った感覚は確かにした。
だが想定と違う状況に虎狼は目を丸くする。
「…何?」
「ぁ…、っえ゛???」
目の前にいたのは来栖のはず。
しかし今目の前に居るのは、七瀬だ。
かわす隙も、ましてや斬撃が来る事など微塵も知らず、それどころか峰打ちを受けのたうち回っていた七瀬がどうしてこの場にいる?
なぜ目の前で斬られている?
「…っ、まさか、」
ハッとして先程七瀬を蹴飛ばした場所に目を向ける。
気付いた時には既に遅かったようで、来栖はその場から消えていた。
能力を利用して七瀬を盾にして逃げたのだとすぐに理解した虎狼は、その悪行に思わず反吐を吐きそうになったが静かにこらえ、刀に付いた血を振って地面に飛ばす。
やはり、人間というものはつくづく救いのない穢れたものだ、と改めて再認識せざるを得ない。

「…ど……っじで…、ぇ゛ほ、」
声に気づき目を向けると、七瀬は既に虫の息で、血で顔を汚しながら涙を浮かべていた。
裏切られたことと痛みで頭が混乱しているのだろう。悲痛と苦しみの混じった表情のまま、涙で歪んだ視界でどうにか虎狼の姿を捉えているようだった。
虎狼はその姿に若干の既視感を覚え、気分を悪くしながらも相手の喉元に切っ先を向ける。
…こういう状況を見ると、いくら相手が人間であるとはいえ気分のいいものではない。
虎狼の中には、皮肉にも情けというものは潰えていなかった。

「…介錯はしてやる。私の目が黒いうちにな」
ひゅ、と、か細い息は答える余裕などなく、虎狼は答えを聞くこともないまま、瞬時に七瀬の首を切り落とした。


遠くから走ってくる来栖による知らせはすぐに樋崎にも伝わり、樋崎はいてもたってもいられず来栖の元へと走った。
緋高達は既に来栖から事情を聞いたのか、慌てるように現場へ向かう足音や声が遠くから聞こえてくる。
樋崎は本部の入り口近くでへたり込んでいる来栖を発見すると、彼女の両肩を掴み問い詰めた。
「アンタ、一体何があったのよ!?っ…七瀬は!?」
「ぅ、うち…うちを……」
相当な距離を駆けてきたのか、肩で息をしながら来栖が樋崎の服を掴み、涙目で顔を上げる。
樋崎はその表情を見て察してしまい、顔面と頭が急速に冷えていく感覚を覚え始めた。

「うちを……うちを庇って…刃物くん、あ、あんな……、ッグス、ぅ…うち、逃げる、のに…精一杯、っで…、
う、うぅぅうぅ゛……っっ、ごめ…なさぁ……」 
来栖に泣きつかれた、それなのに声が遠のく感覚がする。
樋崎は今のこの状況、死の連鎖にとうとう耐えきれなくなってしまい、今まで必死に引き結んでいた表情は次第に歪んでいく。
(なんで、なんでなんでなんでなんでなんで!なんで、七瀬まで、どうして…)
泣き続ける来栖の表情を見る余裕もないまま、樋崎はゆっくりと自身の頭を抱えてうつむいていく。
今更になって、七瀬との会話や、あの時の元気そうな表情が走馬灯のように脳内を駆け巡っていた。
キリキリと張りつめていた、耐え続けていた何かが切れるような音がした。
「ぁ…あ、……あぁあああぁァあぁ゛………………」

低く咆哮する樋崎を尻目に、涙を流し続けていた来栖の口端が顔を伏せたまま、いびつに歪み始めていた。
だが、それどころではない樋崎はそんなことを知る由もない。
("光"じゃないヤツにあんな所で殺されるわけにはいかない。
ごめんね?少年♡)
軽く、小さく薄ら笑いは声に乗ったが、それが樋崎の耳に届く事はとうとうなかった。


樋崎が来栖から状況を問い詰めていた同時刻。連日でユレンと京は別の近隣地区の調査に乗り出していた。
本部から離れていたため七瀬の訃報は聞いていないものの、二人は共に距離を保ちながら化け物の出現に備え、警戒を強めている。

「…ここもあまり長居はできんか…。
…?」
ユレンは市民が使うことのない建物を一瞥した後に、視線を変えた先に人影を見付ける。
京もすぐに気付いたようで、巨大なナイフを手に掛けて臨戦態勢に入った。
遠くから姿を現したのは虎狼だ。戦闘を終えた後の、やや疲れたような表情のまま二人を認識した。
「下がって、ユレンさん。アイツは危険だ」
「…?……いや、待て。武器を納めろ」
「…?どういう……」
京が事情を聞く間もなく、ユレンが京よりも前に出て虎狼を見つめる。
(…どういう事だ?)
ユレンはなぜか彼が化け物の類に見えず、やや困惑していたのだ。
だがそれを顔に出す事は決してせず、ただ遠くにいる虎狼から目線を外さない。
虎狼も違和感に覚えたのか、眉間にしわを寄せながら困惑した表情でユレンただ一人を見つめている。
「…君は…」
「……もしかして…」
野生の勘、とまでは言わないが、歴戦の勘がなぜかそれを確定させる。
お互いに腹の探り合いをする中、京は一人取り残されたこの状況に困惑を隠せずにいた。

「…ユレン、さん…?」
彼の声は、そのひと時だけではあったが、彼女の耳に届くことはなかった。

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