第9話 Potemneniye

七瀬澪莉が死んだ。
いつも明るく、自身のペアを亡くした後すら辛そうな顔など見せずに周囲を元気づける、ムードメーカーのような存在。

そんな彼女の死を、残されたメンバーは黙って受け止めるしかなかった。
一般人にとっては頼みの綱であるともいえるレジスタンスから多くの強者が死んでいき、彼らの不安も日に日に積もり始めていた。今はまだ、化け物が出てもレジスタンスが守ってくれるかもしれない。だがこの先、さらに大きな被害が出たとしたら。人々を守れる存在がいなくなったとしたら。
それに日々の生活も厳しい。食糧だって無限にあるわけではない。例えば、畑が化け物に壊されてしまえば、すぐにたくさんの人間が飢え死ぬだろう。一ヶ月後、一日後、自分が生きているかさえもわからない世界だ。
追い込まれた人間たちは行き場のない不満を積もらせすぎていた。ついに、頼りにしていたはずのレジスタンスにまで疑いの目を向ける者たちも現れ始める。
「本当に化け物を倒せるのか」
「自分たちを救ってくれるのだろうか」
「少ない食料を、彼らに分け続けていいのだろうか」
そうした疑問は後を絶たない。

これまで一般人とよく関わっていた東屋の死により、レジスタンスとそれ以外の人間の仲介を行える者が限られてきたことも、疑いの目を向けられることとなった原因の一つである。
樋崎や内原、来栖はあまり積極的に他者と交流する人柄ではないし、京も必要がなければ前に出てこない。ユレンなどは端から魔法の使えない人間と関わる気はないと切り捨てている。案藤は交流を避けるほどではないが距離を置きたがっており、周囲のことを気にかけられるのは緋高くらいだった。しかし避難しているすべての人間の相手をするなど、とても一人で為せるようなことではない。
拠点には、どこか重苦しい空気が漂い続けていた。


「どういうことなの…!?」
レシスタンスの拠点付近。ただならぬ雰囲気で向かい合う少女が二人。
「アンタ、どういうつもりで化け物なんかと呑気におしゃべりなんてしてたわけ!? アイツのことッ……なんで殺さなかったのよ!!!」
怒鳴り声をあげながら詰め寄っているのは樋崎。余裕のない様子で怒りに顔を歪めていた。
「今はまだ言えない」
対するユレンはいつも通りの無表情のまま、淡々と答えるのみだった。
樋崎が問い詰めているのは、先日ユレンがペアの京と付近の調査を行っている最中に、化け物である虎狼と接触していたことについてだ。その日、たまたま廃墟に迷い込んだ一般人の家族らがユレンたちの姿を見ていたらしい。いつまで経っても戦闘にならず、それどころか何かを話している。異様な雰囲気に彼らは安全な場所へと避難した後、たまたまその場に居合わせた樋崎に状況を説明した。相対していた化け物の特徴を聞き、最愛の兄の仇である虎狼だとすぐに思い至った樋崎は激昂し、現在に至る。

「アンタのこと、っ……一応、信じてたのに……どうして、どうしてよりにもよってアイツと!!」
噛み付くような罵声を浴びせたあと、樋崎は苦しげに下を向いた。触れたものを腐らせる魔法。その強すぎる力を制御できずにいた彼女に、腐食の影響を受けない特殊な素材で出来た手袋をくれたのが、ユレンだった。それは今も樋崎の両の手を覆っている。決して気が合うわけではないものの、共に戦い、戦友としてお互いの力を認め合えていたはずだった。レジスタンスの仲間だった、それなのに。
……裏切られたような気分だった。
大切な仲間の死が重なり、さらに生きている  仲間が自身の仇と接触していたことを聞いた。樋崎の精神は極限まで追い詰められ、理性的でいることなどできなかった。
平素であればまず接触していた理由を問うたり、真偽を確かめるところから始めていたのかもしれないが……。

樋崎のあまりの剣幕に、何事かと畑で農作業をしていた者達が集まってきた。その中は、ユレンと虎狼の接触を見ていた家族もいた。
「あのとき、化け物と一緒にいた子……」
「やっぱりその子も……化け物なんじゃない……?」
「前からおかしいと思ってたんだ……魔力が切れないなんて、人間なら有り得ない」
大人たちが怯えた表情で、子供を守るように前に出ては口走り、得体の知れないものを見る目で、ユレンを見下ろしている。
連日死者が出る中、明日は我が身かと怯えていた人々は冷静な判断ができなくなっていた。近頃は、レジスタンスを訝しむ者も出てきている。そんな中現れた『化け物と接触しているレジスタンスメンバー』という存在は、人々を恐怖に陥れた。
「化け物ってどういうこと!?」
「内部から俺たちを殺す気なんだろう……!」
「人間を誑かす魔女に違いない……!」
騒ぎを聞きつけ、人々は続々と集まってくる。最早事の真偽などどうでもよく、彼らの中では既にユレンは化け物だと決まりきってしまっていた。中でも体格の良い男が二人、ユレンの両手を掴んだ。
「貴様ら、何を……!」
ユレンは抵抗しようとしたが、両手の自由が利かないため魔法は使えない。強化魔法の恩恵を受けていない彼女は、非力な少女でしかなかった。
「お前が人間じゃないことなんて、前から気付いていた」
「ずっと怪しいと思っていた」
「化け物は殺さないと……!」
怒りに突き動かされ、我を忘れた大衆は止まらない。これまでに溜まった不満の矛先が、たまたまユレンに向けられてしまっただけなのかもしれない。異を唱える者はいなかった。
それを目の前にした樋崎は、どこか自身の記憶と重なる光景に呆然と立ち尽くしていた。

彼らは押し合うようにしてユレンを畑の奥へと連れて行く。そこには既に、積み上げられた薪が用意されていた。魔女を浄化するために焼き殺そうというのだ。
一本の木を柱として、ユレンは拘束される。
「なにか言い残すことはないか……!?」
柱に縛り付けたうちの一人が、震える声でそんなことを問う。
「……ああ。私は全く怖くない。救世主であるために生まれてきたから」
ユレンは人々を見下ろし、感情なく言い放った。

レジスタンスに入る前の彼女は、ただ救世主であるようにと育てられてきた。さながら人間兵器のように、化け物を殺すための魔法の力を、人々に注げるように、と。
ユレンが戦場に立つたび、大衆は彼女を救いの手だと持て囃し崇めた。だが、今はその力のせいで魔女だと恐れられ、また大衆に排除されんとしている。
同じ魔法使いでも、利を与えれば救いをもたらす神であり、そうでないなら恐ろしい異質な存在となる。
あまりに愚かだ。いつだって人間は、物事の本質を理解してなどいない。
「どうしてあんなに落ち着いていられるんだ……?」
「魔女なんだ、やっぱり魔女だからだ」
「なんて恐ろしい化け物なんだ……!」
彼女の姿を見て、人々はまたも口々に批難した。ここで命乞いも、恨み言を吐くことも、弁明も……感情的な行為をなにひとつしないなど、非人間的だと捉えられても仕方がない。恐れた彼らは足元に転がる石を次々とユレンに向かって投げた。そのうちの一つが彼女の額を打ち、血が流れる。それでも彼女は無表情のまま、動じる様子はなかった。
大衆の怒りや恐怖に歪んだ醜い顔。耳障りな怒号。
(今の君たちの方が余程化け物じみている)
ユレンはぼんやりと、そんなことを思った。


「……」
樋崎はただ、その様子を黙って見ていることしかできなかった。大衆から批難を浴びるユレンの姿。かつての自分と兄にどうしても重なってしまう。できれば思い出したくはない記憶。胸の奥が締め付けられるように苦しかったが、それでも、ユレンが繋がっていたのはその兄を殺した化け物だ。それだけはどうしても許せず、ついに助けにはいけなかった。

ユレンの足元に、火が放たれた。
煙の匂いが立ち込め、ゆっくりと炎が上がってゆく。


あとはただ彼女の死を待つのみ……誰もがそう思っていたとき、処刑の場を取り囲む人混みに割って入ってきた者がいた。群衆のざわめき。混乱の声が上がる。
「レジスタンスの……!」
「邪魔をするな!」
「帰れ!」
京だった。人々は追い返そうとしたが、彼は止まらなかった。真っ直ぐに火刑台の正面まで歩みを進める彼は何も言わない。怒っているのかなんなのか、読み取ることの難しい無表情のまま、ユレンの方を見つめた。
「こいつは魔女なんだ」
「俺たちを裏切ったんだ」
人々は口々に喚いて、京がユレンを救出することのできないようにと数人がかりで押さえつけた。さらに炎が燃え上がる。もはやユレンの身体はほとんど見えない。
「……やめろ」
炎が揺れている。彼女は人間だ。人類の味方だ。化け物と呼ばれる謂れなどない。この人々は、何をしている……?
「やめろ!」
京は自分で発した声に少し驚いた。押さえつけられる力が強まったのを感じる。顔を上げた。ユレンの顔を見ようとする……彼女は、既に京のほうを見ていた。
「なんだ君は、今更来たのか」
ユレンが、炎を放たれてから初めて口を開いた。死に瀕しているとは思えない、いつも通りの不遜かつ落ち着いた物言いだった。
「そんな顔をするな」
先程まで大衆に向けていた冷たい顔とは打って変わり、優しげに笑っていた。この場の誰も、京でさえも、彼女のそのような表情は見たことがなかった。
「……愛いやつめ」
例えるならば、神から人間へと向けられる慈愛の笑み。
私は正しい、誇っていい。だからなにも心配をするな。ピンク色の瞳は、そう告げているようだった。
一瞬だけ、彼女がこちらへ手を伸ばそうとしたのが、京にはわかった。
ユレンの姿は、そこで完全に炎に呑み込まれ、見えなくなってしまった。

京はユレンに、人間であってほしかった。そのために生き方を教えようとしてきた。いつか彼女が、救世主の器を降りたとしても……生きる意味を見失わないように。
出生も育ちも関係なく、ただ人間らしく在ればいい。そう、互いに認識していた。
別れ際はあまりにも人と神のように違い、結局は別の生き物でしかなかったのだ。吸い込んだ煙が胸を焼いた。燃える火の音、人々の声、すべてが遠くに聞こえていた。


樋崎は目を見開いた。息が、なぜかうまくできなかった。死の間際まで笑っていたユレンの穏やかな表情。それを、かつて見たことがある。違うと、頭ではわかっている。それでも、どうしても、重ねてしまう面影があった。
「ユレン!」
たまらず、叫んで手を伸ばした。強く前に。痛いほど思いきり前に。けれど彼女のところまで届きはしない。もう全てが遅かった。
炎が一際激しく上がる。
兄の優しかった笑顔が、なぜか脳裏を離れない。どんなに理不尽に周りから罵られられ、いたぶられようが、すべてを赦し慈しんでいたあの顔が。
……お兄ちゃん…………。
「ッ……!」
樋崎は血が滲むほどに強く唇を噛み締めた。絶対に下は向かなかった。全て燃え尽きるまで、自分だけでも見届けていなければいけない気がしたから。

……また、レジスタンスから一人、いなくなった。


全てが終わったあと。
化け物だと看做したユレンを殺して気の済んだ一般人たちも、レジスタンスのメンバーも、誰もいなくなった広場。
まだ人の焼けた嫌な匂いの漂うその場所に、来栖はたった一人で立ち尽くしていた。
「やっと……ついに、会えましたね………」
感情なく涙を零しながら。天啓でも受けたかの如く、その瞳に宿る力だけは強かった。

駆け付けた来栖が目の当たりにしたのは、死に際まで一度も怯えることなく自分を誇る、あまりにも人間らしくない強さを持ったユレンの姿。心がときめいた。心臓が高鳴った。彼女の瞳を見たとき、死んでしまいそうなほどに嬉しかった。
「あの日」の来栖を助けてくれた、理想の救世主がそこにはいた。彼女は同じ目をしていた!
彼女こそが本物の「光」であったのだ!
やっと会えた。ずっと探していた希望。やっと……!
だが、ユレンはそのあとすぐに死んだ。愚かな人間が……「光」の糧となることしか価値のない無益な人間どもが、殺してしまった。やっぱり人間は汚らわしいのだと、もっとはやくに「光」の贄となるべきだったのだと、わかりきったことを再認識した。

来栖は「光」を見つけ、同時に失った。
それは激しい絶望であり……歓喜でもあった。
地に落ちていた、ユレンのリボン。魔法少女の証。きつく握りしめ、自分の胸、心臓のあたりに押し当てた。
「光」はまだ潰えていない。彼女はあんなにも強さを見せつけてくれたじゃないか。だから。こんなところで消えてしまうなんて許せない。
あの眩い存在を、ここで見たすべてを再生させることが……今の自分に課せられた絶対的な使命なのだ。

「ああ、しかと見ました……アナタが……わたしに示してくれた道……♡」

来栖は歩き始める。
僅かに残った「光」を完全な形で取り戻すために。

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