第10話 ideal´NYY

久しぶりに夢を見た。
懐かしい村の人の声がした。仕事場を壊した化け物の声がした。■■の声がした。自分に向かって■■■と指をさす誰かの声がした。
ユレンさんがいた。彼女を魔女だとなじる声が、自分に向けられた声と重なった。
何かが燃えていた。■■■が■■■■、■■■は■■■■■…………………。
…………………。

…………………。


「っ……」
自室にて。案藤は一人きりで涙を流していた。
ユレンが人間に殺されて死んだらしい。聞いた当初は愕然とし、何もできなくなった。いっそ、化け物に殺された方がマシだとさえ思えた。そもそも大切な仲間が死ぬこと自体があってはならないのだが、まだその方がすぐにでも復讐のために立ち上がることができる。
自身の人生を切り開いてくれた師匠は、案藤に『人間は守るべきもので、殺してはならない』と教えてくれた。怒りの矛先を人間に向けてはいけない。自分を律するために拳をきつく握った。悲しむことしかできなかった。
「ユレンは僕が守るよ」と言って「逆だろう」と笑われたことがあった。守ると言っておきながらその場にいなかったこと、また仲間を守れなかったことを悔いた。

じっとしていると、たくさんの幸せだった日々が思い起こされる。
ユレンと作戦会議をしていたら、終わったあとも関係のない話を続けてしまったことが何度もあった。いつの間にか夜中になっていて、そんなときは決まって京に「夜食を作ったけど食べる?」と呼ばれた。三人で静まり返った深夜の食堂のテーブルを囲んだ。そこでのユレンは、よく笑っていた。
悲しいときは、東屋と拠点を抜け出して隣町の跡地まで行った。時にはお酒や珍しい食べ物についてもこっそり教えてくれて、毎日が楽しかった。
彼はいつも案藤の話を笑わずに聞いてくれて、初めて他人に涙を見せた相手も彼だった。本音で話すことのできる唯一無二のペアだった。

机の上には、案藤とユレンが並んでいる写真が飾ってあった。
たしか、レジスタンスに入って一周年のとき。二人はほとんど同期だからと、まとめて祝うことになり記念写真を撮った。普段は調査の記録用にしか使っていないカメラを、東郷が気を利かせて持ってきてくれた。
「東屋、この私を記録に残すなら完璧に撮れよ」
「ユレンさん、写真を撮るときは前を向いて」
「む…………」
尊大な態度で威張っていたユレンが、京に少し注意されただけですぐに静かになって、それがなんだかおかしかった。
「おい案藤、なにを笑っている」
「だ、だって……」
「いいじゃねえか、写真なんか笑うもんだろ」
「そうなのか……? おい京、どうなんだ」
「うん、笑って、ユレンさん」
肩を寄せて撮った写真。たしかこのあと、東郷が現像もしてくれた。
「この私と並んだのだから有難く飾っておけ」
そう言われた通りに飾っていた。見るたびにユレンと東郷、二人のことを思い出せるから幸せな気持ちになっていた。
けれど、もうどちらも案藤のそばにはいない。
楽しかった頃を見ているのがあまりにも辛く、つい写真立てを前に伏せてしまった。二度と戻れないのだ。
「東郷……ユレン……僕はどうすれば……」
どうして大切な人ばかりが奪われていくんだろう。どうして、僕は無事なままなんだろう。
どうして。

「アナタの神託のために…」
ユレンの遺品である魔法少女のリボン。来栖はそれを、二度と手元から離れることのないように握りしめた。
わたしが「光」になる。絶対にアナタの光を、希望を、消させはしない! 取り戻すんだから! そうして完璧な存在に進化し……アナタとひとつになるの……。
「あはは、あははははっ!」
もはや正気ではなかったが、そんなことはお構いなしに拠点の廊下をふらふらと歩き続ける。
「京幸見……ねぇ、京幸見はどこ? どこにいるの……?」
今度は途端に抑揚のない声を吐き出しながら、辺りを見回す。
「『光』が翳りそうになったのはお前のせい。責任をもって今すぐ贄として捧げなくては……! ふふ、『光』がお与えになった慈悲に感謝するのだ♡」
突然無垢な笑顔を浮かべた来栖は、小走りで大部屋まで向かった。


「京幸見……見つけた!」
「奈々生さん? 俺に何か用……?」
樋崎と緋高はペアで周囲の見回りに向かっており、現在共用の大部屋には京と案藤の二人だけがいた。
呼ばれた京は相変わらずの無表情で応じた。

「とぼけないで?」
来栖は真っ直ぐに歩み寄ると、自身の愛刀を勢いよく抜いた。
「ずっと邪魔だと思ってたけど、確信に変わった。やっぱりお前なんかがユレンの……『光』の傍にいたのは間違いだったの」
「……」
光る刃先を向けられても、京は表情を動かさない。
「お前のせいで『光』が失われかけたの!」
反して、普段のおっとりした来栖の様子からは想像もつかないようなヒステリックな叫び。
「お前を贄として捧げなければ……!」
一方的に浴びせられる、憎悪の籠った罵声。光だとか贄だとか、京にはなんのことか理解不能だ。
「とりあえず、武器を下ろしてくれるかな。死ぬわけにはいかないから」
そして彼は、どこか意思疎通を諦めたような声音で答えた。

「……そうだよ奈々生、危ないことはやめよう?」
続いて制したのは近くにいた案藤だった。来栖の言う内容を完全にわかっているわけではないが、なんとなくユレンという存在の死を冒涜されているように感じ、つい割って入ってしまったのだ。
「……逆らうの? これまでただ従ってきただけのワンコくんのくせに!秘密、みんなにバラしちゃうよ? 」

来栖と案藤、二人はレジスタンスに加入する以前に会ったことがある。そのときの弱味を来栖はずっと握っていた。そうして自分の言うことに従わせていたはずだった。なのに、ここにきての反逆。許すわけにはいかない。
「それとも、ワンコくんも贄になりたいのかな?」
何人だって贄になればいいんだ。レジスタンスなんて全員殺してしまってでも、「光」を取り戻さなければいけない。
「光」を殺した愚かな人間どもに強さと正しさを見せつけてやるの。そうすればみーんな、自分の汚らわしさに気がついて許しを乞うて、浄化されるしかなくなるでしょう?
なにかに取り憑かれたかのような来栖の笑いが部屋にこだました。
これ以上は本当に過去のことをバラされるかもしれない、そう思った案藤だが、来栖の様子がいつもと違うことに気がついた。彼女が何を求めているのか依然として読めない。けれどどうにかして武器を下ろしてもらうしかない。自分は人間と戦うことはできない。
さらに、隣にいる京が何を考えているかもわからなかった。もしも彼が来栖の攻撃に応じてレジスタンス同士の戦いになったとしたら。それは非常によくない。咄嗟に間に入ってしまった案藤は、この次の行動をどうすべきか悩んでいた。拠点内に人がほとんどいない今、なにか解決の糸口は……。

「ど、どうしたんですか……!?」
そのとき、大部屋の扉を勢いよく開け、内原が入ってきた。
「大丈夫ですか……? 奈々生さんに……な、なにかあったんですか……?」
彼は震えながら来栖のほうに視線を向ける。近くの部屋から想い人の不穏な声を聞きつけ、対人関係が苦手ながらも勇気を出して駆けつけたのだった。
「相棒くん? 邪魔しないでくれる?」
しかし、 そこにいた来栖に、大好きだった彼女の面影はなかった。一目惚れした美しい顔は狂気的な笑みで歪んでいる。目を合わせることが心底恐ろしい、そんな表情だった。
「……『光』の邪魔をするなら少年も殺すよ」
「ええっ……?! ご、ごめんなさい!」
内原は悲鳴を上げて後ずさり、逃げるように部屋から転がり出た。今の恐ろしい存在は本当に来栖なのか? 化け物かもしれない。けれど、見た目や声は確かに初恋の相手で……。
思考が纏まらない。心臓の音がいやにうるさく鳴り響いている。

パニックになりそうな頭で、なんとかしてもう一度あの部屋で来栖と話ができないかを考えた。
だが、彼女は武器を構えていた。こちらが丸腰で向かえば殺されてしまう可能性だってある。想い人と戦う意思なんかあるわけがないが、せめて護身用の武器は持っていた方がいいだろう。部屋まで帰って自分のバットを取りに行っている時間はない。自室に戻るためにはここから階段を上がって少し奥まで進まなければいけないのだ。
「そうだ……!」
レジスタンスのメンバーなら、誰しも自室に武器くらいはあるはず……!

廊下を駆けながら、適当な部屋の扉を引いた。幸い鍵はかかっていない。簡素だが、置いてある小物の雰囲気からして女性の部屋だ。勝手に入ることに罪悪感は覚えたが今は仕方がない。目に飛び込んだのは、濃いピンク色のクロスが掛けられたテーブル。その上に小型の銃が置かれていた。
「ご、ごめんなさい……! お借りします……!」
内原は誰にともなく謝り、それを手に取った。

銃はおそらく、ユレンのものだった。
彼女の訃報は聞いている。故人のものを勝手に扱うなど、バチが当たるかもしれない……と一瞬思ったが、今は来栖と話をする方が先だった。
来た道を走って戻る。みんなのいる大部屋へ。


内原が再び扉を開けると、まだ来栖は京に詰め寄っていた。ヒカリがどうだとかわけのわからないことを叫びながら刀を突き付けている。ひとまずは未だ交戦になっていなかったことを安堵した。
「あ、あの……奈々生さん……」
内原は恐る恐る声をかける。怖くて喉がつっかえそうになったが、なんとか彼女の名前を呼ぶことはできた。
「……相棒くん? 戻ってきたの?」
ゆっくりと振り返る来栖。彼女の手には刀がある。震えそうになりながら、言葉を続けた。
「奈々生、さん……なにか、あったんですか……?」
オレにできることなら協力するから。なんとかして助けるから。だから仲間に刀を向けないでください。だから元に戻ってください。そう言いたかった。だが現実は、なにも言えなかった。

彼女の吸い込まれそうに大きな目の中で、狂気が揺らいでいる。その歪みにあてられれば途端に声を失い、冷や汗が出て、言葉を発せなくなるのだ。
この人はどこを、誰を、見ているのだろう。この世のものではない何かの啓示を受けたのだろうか。
もう、これは、大好きだった『来栖奈々生』では、きっとない。美しいだけの化け物だ。
背筋が凍った。泣き出したくなった。
「こんなの……っ、奈々生さんじゃない……!」
苦しかった。その狂気的な目をもう見ていたくはなかった。半狂乱のように叫んで、気がついたら引き金が自分の手によって引かれていた。
短く鋭い銃声が鳴り、煙が上がる。
次に内原が前方を見たとき、既に来栖は床に倒れて動かなくなっていた。


(ああ……! やっと……)
来栖は、自分が撃たれたのだと理解した。
向けられた見覚えのある銃。見間違えるわけがない、これはユレンのものだ。
つまり、ユレンが……! きっとそうに違いない! 焦がれ続けた「光」が、望み通りにわたしを殺してくれたのだ…!!
なんの魔法も使われていない、ありのままの彼女の銃で。アナタだけを“わたしの”救世主であると信じて疑わなかった。この時を待っていた。ねえ、これって、神様のおくりもの……?
やっと浄化してもらえるんだ……ぐっちゃぐちゃに壊してもらえる……アナタに……わたしを…………。
…………。

「だいすき……♡」
朦朧としていく意識の中、最後の力を絞り、ユレンが死んでからずっと持ち続けていたリボンを強く強く握りしめた。

来栖の死に顔は美しく、これまでにないほど安らかに恍惚とした笑みを浮かべていた。


「……っ、な、奈々生さん! どうしよう、お、オレ……! うわあああ……っ!!」
来栖は死んでいた。内原が殺した。
ついにレジスタンス同士での殺人が起こってしまった。
──オレはやっぱり「あの人」の息子なんだ。
──父とも、街で人を殺し続ける化け物たちとも、自分はなにひとつ変わらなかったんだ。
──もう、レジスタンスとして世界を守れるわけがない。
手にした銃を床に捨て、無我夢中で逃げ出した。誰かの呼ぶ声が背中に聞こえたが、それさえ振り切るように走った。拠点から出ても、まだ走り続けた。

根拠もなく、ただ逃げなければと思った。
消息不明となった内原。
目の前で死んだのは人間ではなく化け物であると判断し、特に思うところもない京。
様々な感情が入り乱れ、今はそれどころではない案藤。

♡来栖奈々生は一人勝ち抜けたのだ♡

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