第11話 Vospominaniye

来栖が内原の手により命を落としてからおおよそ数時間後。
樋崎と緋高が合流し、拠点内部に足を踏み入れた際に来栖の遺体を発見した。
度重なる仲間の死に疲弊こそ重なったものの、それよりもその遺体の不可解な状況に二人して目を向ける。
笑顔のまま、ユレンのリボンを抱えている上、手元には凶器と思われるユレンの拳銃が地面に転がっていた。
周囲に人の気配もなく、一般市民が来た痕跡もない。

「…どういうこと…?まさか、自殺?」
「…分からない、が……。この状態で、目撃者もいないようであれば…仮に他殺でも犯人は分からないよ」
「…それもそうね……」

ここには警察が使うような犯人探しの道具などない。
様々な不信点は残ってはいたが、結局のところ『後を追って自殺した』と断定せざるを得なかった。

その遺体の笑顔に、樋崎はどこかまた懐かしい誰かの面影を重ねているようだったが、樋崎本人は混乱していたがために気付くことはなかった。

もはや慣れてしまった遺体の処理を二人で行い、その後すぐに他の仲間を招集した。
人数が極端に減ってしまったことを鑑みて、これ以上の損害を出さないための会議を行いたかったからだ。
だが、案藤からの報告で二人は更に眉間に皺を寄せることになる。

「内原がいない?…どこかアテはないの?」
「…分からないんだ。どこを探しても…手掛かり一つ……。
それに、この本部も少し……広くなってしまったから…」
「…でも……」
仲間、言わば目撃情報を持つ者がゼロに等しくなった、以前より広く感じる本部では人ひとりを案藤と京で探すことすら困難を極めていた。
仮に本部から外へ出てしまっていたとしたら、なおさら行方が分からない。

「…帰りを信じて待つしかないよ。俺はそうすることしかできない」
しばらく黙っていた京が口を開く。
目の前で起こった出来事とはいえ、彼は"化け物"を倒しただけであり、非難するのは筋違い……無理に追うことで、かえって内原を精神的に追い詰めてはならないと考えたからだ。

もちろん、事の真相をこの場で口を言うわけにもいかず、結果としてこの言葉に留まったのである。

「……致し方ない、か」
すぐにでも探しに行きたい気持ちは強かったが、仲間も少ない今の状況下で、私情優先の行動は危険そのもの。捜索は断念するほかなくなってしまった。

緋高の言葉に樋崎、案藤、京は静かに頷く。
不満の捌け口にされたとはいえ、一般市民を危険に晒すような行動はできない。
せめて内原が行く可能性のある区域をリストアップしておかねばと考え、地図を広げ始めた時の事だった。

「…、れか、誰か…」
本部の会議室のドアの先から遠く掠れた声が聞こえ、聞きつけた案藤と京が素早くドアを開ける。

「!」
「ば、化け…もの、っが……ぅ…っぐ、」
そこにいたのは避難者と思しき男性。どうやってここまで来たのかは不明だが、酷い傷を負っているらしく、歩いた跡にはおびただしい量の血痕が残されている。

その状況を見た二人も捜索どころではなくなり、緋高は広げていた地図をやや乱雑に払うとすぐさま京達の元へ駆け寄った。
「夏実ちゃん!医療班を呼んでくれ!」
「分かってるわよ!」

緋高は樋崎に指示を出すとすぐに男性をベッドに寝かせ、応急処置を開始した。
「誰にやられたんだ?何か特徴は?」
「…つ…角…の、生え…ッゲホ、」
「今は喋らせない方がいい。とにかく安静にさせておくんだ」

だが必死の応急処置もむなしく、医療班が駆けつけた頃には既に息を引き取ってしまった。
後の医療班の解析と他の避難者への聞き込みにより、この男性は以前に七瀬と来栖が向かった警戒区域にいたことが判明。同時に虎狼がそこから森の奥深くへと向かったことも明らかになる。

彼とこの男の行動の理由は不明だが、その森は本部からさほど遠くない地区でもあるため、見逃すことはできない。
医療班に遺体の処置を任せると、改めて仲間を集め分担を開始した。

「他の避難者達への説明は僕がやるよ。この前の事もあるから、難しいかもしれないけど……」
「…俺も付き合うよ。その場にいた一人でもあるから」

案藤の挙手に続き京が加わる。案藤は彼の積極性にやや驚くも、京個人の感情で影で見てばかりいられないのだという決意を悟り、特に口を出さずに静かに頷いた。

「分かったわ。ヤツの討伐は私と緋高で行くわ」
「説明が難しくなったらすぐに無線で呼んでくれ。良いね?」
「…うん。二人共、気をつけて」

そこで緋高と樋崎、案藤と京は別れた。
見送ってから背を向けた際、案藤の耳は小さい鳥の鳴き声をとらえた。

「…?」
(鳥なんてここにいない筈なのに、なぜ……)
不信感を抱きつつも袖を少し擦り、京に続いて再び歩き始める。
ポケットからちゃり、と、小さな金属音が木霊した。


森に分け入ると、辺りは薄い霧に包まれていた。
最初は薄靄のままだったが、捜索を続けていると次第にそれは濃くなっていき、三十分も経つ頃には数メートル先すらやや霞んで見える程に濃度を高めていた。
互いに離れすぎぬよう進んでいくと、やがて森の中で開けた土地を発見する。

「…この辺りね」
「ああ。痕跡が消されていたからかなり苦労したが……」
虎狼が森に入った目撃情報こそあったが、有力な情報がそれだけであるため、無闇に個別行動はできない。
周囲に目を凝らしながら草を分け入っていくと、奥から枝を踏む音が聞こえてきた。
「…虎狼か?」
「…やはり人間は愚かだな。何度も同じ事を繰り返す……」
虎狼が霧の中から姿を現した。
だがその表情はいつになく険しく、緋高はやや驚きと共に違和感を抱く。
それを樋崎に伝えようとしたが、緋高が口を開くよりも先に彼女が啖呵を切りだした。
「アンタ、ユレンに何を吹き込だわけ!?あ、アンタのせいでッ…ユレンは…!」
「何を吹き込んだ、だと?
…お前達人間が、彼女や私の▓▓を殺したんだろう?」
虎狼が「彼女や私の」と言ったと同時にカラスが群れをなして鳴きだし、言葉をよく聞き取れなかった。
それにも緋高の中の違和感は膨らむばかりだったが、樋崎の憤りを治めることが先決だ。

彼女は明らかに気を乱している。
ユレンの死の原因、そしてかつての悲惨な過去の元凶が、目の前にいることで歯止めが利かなくなってしまっているようだった。

「…俺も早く始末したいさ。けど落ち着いてくれ、夏実ちゃん。
先走ってもどうにもならないよ」
「…分かってるわよ…分かってるッ……」
虎狼の手にはユレンの十字の飾りが握られていた。樋崎はそれを見て虎狼への憎悪が増していたが、虎狼はそれを持ち出していた男性に静かに怒りを燃やしていた。
この遺品を持っていた男性は、これを売り飛ばすつもりでいたのだ。
虎狼はそこに偶然鉢合わせ、尋問と拷問を重ねた結果、ユレンの死と人々の非人道的な行いを知ることになった。
当然許す事は無く、虎狼は男性を深々と斬り捨てた。
「(……やはり、人間はいとも簡単に他者を迫害し、貶め、命を奪う……。
…少しでも、心を許すべきではなかった)」
七瀬澪莉の介錯をしたことは、後悔していない。
それでも彼は『仲間』をまた失ったことから憤りを覚えずにはいられなくなっていた。

虎狼は迷いなく、かちん、と鞘から刀を抜くと同時に踏み込んで斬り掛かった。
だが音に反応した樋崎はとっさに距離を取り、同時に緋高が薙刀の柄で斬撃を阻止する。
「っ、させないよ」
「…邪魔をするな」
緋高にも個人的な恨みや復讐があるが、それを完遂するにあたり、樋崎を付き合わせるわけにはいかないのだ、と、理性が彼を押しとどめていた。
「!」
「、…っぐ、」
隙を見て即座に樋崎が虎狼の腕へ手を伸ばすも、既にそれを察知していた虎狼によって鞘で弾き飛ばされ、彼女は弾かれた腕を押さえながら後退する。
弾いたものの、間接的に触れた鞘が徐々に腐り落ちていく。虎狼はそれを見て樋崎に魔法の力が目覚めたことを知った。
「…先ずはその腕を切断せねばならないか」
「させない…と言っているッ、だろ!」
緋高は自身の武器を振り上げて虎狼を後退させ、自身の能力を発動させようとしたが、周囲が森の木々に囲まれている事に気づき、延焼を恐れて一歩出遅れてしまう。
「邪魔だ」
「!っが、」
回し蹴りによって腹部を蹴り飛ばされ、木の幹に背中が激突する。
勢いと虎狼の化け物らしい強い力のせいで、直後にした嫌な感覚。
折れたか、それともヒビでも入ったか。

明らかに軋んだ音が己の中から聞こえ、それでも堪えて歯を食いしばる。
ここで痛みにのたうち回るわけにはいかない。
「緋高!」
「ッ…平気だ。それより、」
「余所見をする余裕があるのか」
樋崎が緋高に駆け寄ったと同時に虎狼は樋崎の背後に接近していたらしく、二人同時に斬る勢いで刀を振り上げる。
「夏、」
「、ーッッ、」
間一髪、持っていたエアガンで刀を受け止めたが、掛かる力の強さから斬撃を避ける代わりに刃が半分ほど銃の内部に食い込み、そのまま手から振り落とされてしまう。
「夏実ちゃん!」
「!?っわ、」
マフラーごと樋崎の襟首を掴み、すぐさまその場から離れる。
直後、緋高の背後にあった樹木が斜めに切れて崩れ落ちる。
離れていなければ、続けざまの斬撃で共に死んでいたのかもしれない。
避けられたとはいえ、見せ付けられたその光景に樋崎も息を飲んだ。
「…これももう使えないか……」
想定以上の力でエアガンを斬った事により、刀にはヒビが入っている。
使えないと判断した刀を捨てるとすぐに新しい刀を目の前で生成し、利き腕に持ち直した。
「何よ…あんな能力あったら……」
「…少なくとも、終わりはない…ね。…ッゲホ、」
「…緋高?」
「ぁー…平気だよ。ちょっと…痛めただけ」
失笑するように笑顔を見せるが、自分の身体の状態は自分が一番よく分かっていた。
…多分、肋骨の一部が折れ、どこかに刺さっている。
苦しいはずだ、と脳内で処理し、薙刀を持ち直すと虎狼に向けて構え直す。
「…勿論、遠慮なんてしないだろ?虎狼」
「…分かっているのなら口を塞げ。それとも命乞いか」
「まさか。仮にそんな事をしたら、俺は『彼ら』に申し訳が立たない、ねッ!」
言いきってから勢いで薙刀を虎狼に向けて振り上げ、何度も斬りつけていく。
が、しょせん手負いの人間の攻撃。やはり虎狼はさも余裕という動きで回避していく。
「…只の死を恐れぬ馬鹿であったか」
「…ああ、かもね。俺だって……」
そんな風になれたら、どんなに楽だったか。
その言葉が喉から出ず、行き留まる。
「緋高!」
「っは…、下が…って」
とはいえ、息も苦しい状況で薙刀を振り回し、更に距離を詰めるとなると息も体力も追い付かない。加えて鈍い痛みが奥底から響いて滲みてくる。

今の樋崎には武器が無い。
何より、今の彼女の心はまだ安定していない。そんな状況で、表に出ればどうなるか。
だからこそ、『俺』が前に出なければ。
「…もういい。遊びはこれ迄だ」
「!」
ばぎん!と折れる音と共に薙刀の柄が約半分に折れ、同時に薙刀を持っていた左腕がズル、と薙刀の下部分と共に地面に落ちていった。
「っぐ…!?」
痛みと腕を失った状況に目を奪われ、やや怯んで体制が崩れる。
直後、虎狼は緋高の背後にいる樋崎に目を向けた。
このまま、俺と夏実ちゃんを纏めて消す気でいる。
虎狼の殺意のある目が、それを確信付けた。

(……まるで、あのときの彼女と、同じ…)
こんな窮地で、なぜか緋高は『彼女』を思い出している。
左腕を失った今の自分が、彼女の亡骸と重なって見えていた。

(…これが、罰。そうなんだね?恋雪ちゃん)

なら、いっそ。


やや重い肩掛けの鞄が落ち、付随している青いクマの人形が地面に落ちる。
ドサ、と音が鳴って間もなくして、ボタ、と上から鮮血が降ってくる。
「っご…、ぁ゙、き……っざま゙…!?」
「ぐ…っゔ、……ぅ゙」
とっさに持ち直し、緋高は樋崎を庇って胸を貫かれた。
だが同時に、半分になり軽くなった薙刀の切っ先を、虎狼の下腹部にありったけの力を込めて突き刺し、貫いた。

危機的だった状況を、自らを犠牲にしてやっと逆転ができた。
虎狼が獲物を確実に仕留めるため、懐にまで飛び込んできたことが功を奏したのは何とも皮肉なものだ。
「…なつ、み…ちゃ、分かって……る、よね…」
「っクソ、死に損ない…っが、ぁ゙」
「っぅ゙、ぁ゙…っか」
だが、さすがは化け物、といったところか。
腹を刺した程度ではまだ死なないようで、貫いた薙刀の柄を持ち、今度は虎狼が刀を使い傷を広げるように抉りだした。

痛みで頭が飛びそうで、脚も力を失ってくる。
でも、ここで倒れたら駄目だ。
彼女の、理に反する。

「ーーうわぁ゙あぁ゙ァ゙あぁ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!!!」
「ーッ!?」
緋高に気を取られていたせいで虎狼は声に若干反応が遅れ、声の主の女を見失っている事に気づいた。
声は、緋高の背後から。
まずい、と感じて刀から手を離すが、既に遅かった。
「ぐ…、ッッ゙、」
首に樋崎の手が触れ、締め付けるように両手で首を掴まれる。
じゅ、と嫌な音が聞こえると同時に首にも激痛が発生し、虎狼は本格的に死を直感した。
生存本能でとっさに生成した刀を樋崎の胸に突き刺す。
「ぅ゙、っぐ…ぅあ゙ぁ゙ぁ゙!!!」
「ぅ、っが、」
胸を刺されてもなお樋崎は怯むことなく、自重で虎狼を地面に押し倒した。
樋崎はまるで痛覚を感じていないようで、彼女の手はどんどん虎狼首の皮膚を、筋組織をも溶かしていく。食らっていく。

更に焦った虎狼は樋崎の胴と肩、腕にも次々と刀を突き刺していくが、彼女が止まる気配はない。
「っくそ、退け…っどげ…ぇ゙、」
「ぅ、ぁぐ、ぁ…ぁ゙」
これほど刺されているのに、なぜこいつは死なない?
ただの人間の癖に、脆い、愚かな存在であるはずなのに。どうして?
(…そんな、嗚呼、こんな場所で)
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
そう脳内で何度も木霊していくうちに、次第に刺す力は弱まっていく。
だがそれに虎狼が気付く事はなく、耳にはかつての『二人の声』が響いてきた。
遠くで、鳥が鳴いて飛んでいく。
あの鳥は、確か。
(……そう、か)
今更気づいたのか、私は。
哀れだったのは。愚かだったのは。
次第に火の手が上がっていく木々から飛んでいった■■の幻覚を見たのを最後に、虎狼の意識がそこでぷつりと途絶えた。

「ッゲホ、…ぅ゙…」
周囲からパチパチ、と木の水分が弾ける音が聞こえてくる。
燃え広がっていく火は緋高が出した能力による延焼なのか、それとも何処かで火種が回ったものなのか。だがそれを確認する余裕はもう無かった。

樋崎の両手にはもう掴むものはなく、ただそこにあった、歪に切り離された化け物の首がゴロ、と鈍く転がってその場で停止する。
「…っぐ……緋……高……」
仇の死を確認して安堵したと同時に力が抜け地面に倒れるも、気を奮い立たせ両腕で這いながら緋高の元に接近しようと力を込める。
倒れている緋高はぐったりと倒れたまま動く様子がない。
周囲に広がる出血と瞼を閉じた血色の悪い顔色は、彼の死を悟らせるのには十分だった。
(…ごめん…緋高……私なんかと、組まなければ……もっと…永く…………)
だが失血のせいか、幾ら力を込めようとしてもそれ以上両手足が言う事を聞いてくれない。
(…緋高、を……愛染……のところ…に)

早く連れて帰って、彼女の近くで眠らせてあげないと。
早く京と案藤、内原に会って、状況を伝えないと。
そんな思考を嘲笑うかのように周囲からはどんどん火の手が上がり、樋崎の近くに熱が寄ってくる。
それなのに次第に体が冷えていくのを感じ、異常な寒気を覚えながら、樋崎自身の僅かに働く思考で『死』を悟り始めた。

視界が滲み、今まで見せてこなかった弱い顔が現れてくる。
誰にもこの顔を見られていないことが、彼女にとっては救いだった。

「……ぉにい、ちゃ……ゎ…たし、がんばった、……よ…」
(だから、また、あたまをなでて)
口元がやわく緩み、血溜まりの中で樋崎は最後の呼吸をそこで終えた。

強く燃え広がった業火は三人の痕跡を消すのには十分すぎる程で、樋崎の穏やかな表情ごと三人の遺体は地に還り、人知れずそのまま姿を消していった。

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